『愛のアランフェス』&『銀のロマンティック…わはは』

今月の「本をオススメするイベント」で、槇村さとる『愛のアランフェス』、川原泉『銀のロマンティック…わはは』の2作を紹介しました。

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『愛のアランフェス』は、「国際大会のエキシビションに謎の天才少女が乱入し、彗星のごとくデビューを飾る」という、昭和の少女マンガの王道パターンではじまります。荒唐無稽ではあるのですが、そういうよくわからないエネルギーがストーリーの推進力になる面も確かにあります。
もう一人の主人公は、恋人の練習中の怪我に責任を感じて引退を考えていた、かつては将来を嘱望された天才フィギュアスケーター。二人がペアを組んでプログラム「アランフェス協奏曲」を作り上げていくというのが、基本的なストーリーです。
連載開始がちょうどNHK杯開始前年の1978年で、日本のフィギュアスケートの黎明期から勃興期への転換期。「女子のトップ選手でも2回転ジャンプを跳ぶのがやっと(そこに現れた3回転ジャンプを決める天才少女が主人公)」という時代です。
それから50年近くの時が流れ、技術は長足の進歩を遂げましたが、今も「2人の関係性をいかに表現するか」というペア競技の本質は変わりません。若い二人が時間をかけて関係を深め、一つのプログラムを作り上げていく過程をじっくりと描き出したことが、この作品に今も持続する生命力を与えているのだと思います。
二人のプログラムで用いられているアランフェス協奏曲は、スペインの作曲家ホアキン・ロドリーゴ作曲のギター協奏曲。その哀愁漂う美しい旋律が愛される名曲ですが、私の世代(1998年の長野オリンピック前後からフィギュアスケートを見始めた世代)にとっては、なんといっても本田武史選手の代名詞ともいえる曲です。

 

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『銀のロマンティック…わはは』は、バレエダンサーの娘と怪我で現役を引退した天才スピードスケート選手という異色の二人がペアを組むことになって……という、コメディタッチの作品。スポ根モードの二人が最終的に4回転ジャンプを目指したり、ショートプログラムの選曲がELPの「庶民のファンファーレ」だったり(1986年の少女マンガの読者層はこれを受容してたんだから凄いよね)、何気にスポーツ選手の生理の問題を取り上げていたり、そして最後には圧倒的な感動が……という、川原ワールド全開の一冊です。テレビ解説者の名前が「木枯さん」なのが、五十嵐文男さん(第2・3回NHK杯優勝者)のファンとしてはとてもうれしいです。

鎌田純子先生を偲んで

『帝京史学』38号の冒頭には、阿部朝衛先生、宮川麻紀、藤澤明先生、岡部昌幸先生による、昨年亡くなられた鎌田純子先生への追悼文が掲載されています。ぜひお読みいただければと思います(リンク先で「本文を見る」をクリックすると、PDFデータが表示されます)。

https://tk-opac2.main.teikyo-u.ac.jp/webopac/TC70001685

私自身はそこに寄稿する立場になかったので、ここで私的な追悼文を捧げたいと思います。


鎌田先生、先生とはじめてお会いしたのは、6年前の3月の終わりでしたね。ガイダンスではじめて史学科を訪れた私を、先生は昼食に誘ってくださいました。教職員食堂でご一緒したあの日のランチのことは、今でも鮮明に覚えています。はじめての専任での仕事、はじめての関東での生活で緊張していたのが、先生のお陰で、リラックスした楽しいスタートになりました。

勤めはじめてからは、通勤の多摩モノレールでよく乗り合わせましたっけ。埼玉西武ライオンズの話題で盛り上がりましたよね。飲み会のあとも、モノレールでお話ししながら帰ったのが、楽しい思い出です。ころころと笑いながらお話しされる、楽しいお酒でした。
子育て世代同士、子どもの話も良くしましたね。年賀状の話題になって、「先生方にも子どもの写真の年賀状を送ってますよ~」と笑ってらしたのを、よく覚えています。

授業でも、先生のゼミの実習に、オブザーバーで呼んでくださいましたね。先生のお陰で、十二単を着るなんていう、得難い経験をさせていただきました。あれ、本当に嬉しくて楽しかったです。

先生が休職されることを聞いたときは、本当にショックでした。代講が必要だということになって、ご恩返しをするのは今だと思い、真っ先に手を挙げました。
半年で復職されたときは、本当に嬉しかったです。これからまた、いっしょに楽しく働けるんだと思っていました。ですが、それから一年あまりして、先生と永のお別れをすることになってしまいました。
あまりにも早すぎて、心残りが多すぎます。もっといっしょに、楽しくお仕事がしたかったです。今となっては、復職されてからの授業も、代わって差し上げたかったという思いは拭えません。でも、これが先生が最後までみんなに尽くされた証なのだと思うべきなのかもしれません。
今はせめて、先生にお返しできなかった御恩を、史学科のみんなに循環させていこうと思います。先生のようにはできませんが……。鎌田先生、本当にありがとうございました。

『山川歴史PRESS』第13号に、拙稿「両統迭立・文保の和談」が掲載されました。

『山川歴史PRESS』第13号に、拙稿「両統迭立・文保の和談」が掲載されました。

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『山川歴史PRESS』は、以前刊行されていた『歴史と地理』が2021年にリニューアルされたものですね。
教職課程に関わるものとして、オファーをいただいたのはとても嬉しかったです。

 

内容は、「両統迭立・文保の和談の実態について、具体的に解説してください。」というお題に、忠実にお答えしております。
いただいたスペースを目いっぱい使って書きました。毎度のことながら、字がみっしり詰まっております。
媒体の性質上、新しいことは書かず、現在の研究状況をできるだけ中立的に説明しました。
鎌倉後期の天皇だけでなく、皇太子についてもセットで表にした辺りが、自分としては工夫を凝らしたところです。
あと、お題からいえば、承久の乱から両統迭立までの皇位継承の状況や、後醍醐天皇挙兵についてのくだりは、なくてもいいところかもしれませんが、まあ私なりの読者サービスだと思ってください(笑)。
リンク先で全文公開されていますので、ご覧いただければ幸いです。

 

なお、スペースの都合もあり、参考文献が掲げられておりません。
ベースになっているのは拙著『皇位継承の中世史』ですので、よろしければそちらをご覧ください。

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Twitter始めました。

このたびTwitterの運用を始めました。

twitter.com

アカウントを開設したのは、実は10年も前なのですが。
ただ、ひたすら発信用としてだけ使い、いいねもリツイートもフォローもフォローバックもしない予定です。それでも良いという心の広い方は、ぜひこちらもご覧ください。
あと、長文はTwitterには投稿せず、もっぱらこのブログで投稿しようと思っています。ということで、当ブログも引き続きどうかよろしくお願いします。

ドクターイエローと私。

今日はドクターイエローに試乗してきました。
1995年の1月、私は受験勉強のために高校の教室で自習していました。
息抜きに目をふと上げて、窓の外を見た私の目の前を、見たことのない黄色い新幹線が通り過ぎたのです。
初めて目にした光景に、私の頭はとても混乱したのですが、その記憶は鮮明に残りました。
当時はまだドクターイエローの存在は有名ではなく、それがドクターイエローだったのだと合点がいったのは、ずいぶん年経てからのことです。
折しも阪神淡路大震災の直後で、山陽新幹線は運行が止まっていて、それでなおさら頭が混乱したのですが、実は復旧作業で頑張ってくれていたんですね。

trafficnews.jp


「見ると幸せになれる」と言われますが、おかげさまで第一志望の大学に合格できたので、ご利益があったのかもしれません。
あれから28年、今度はそのドクターイエローに乗ることができたなんて、本当に感無量です。
今回は倍率100倍越えだそうで、乗れたこと自体がとんでもなく幸運なのですが、今年はツイてるんだと励みに思って頑張ります。

 

アイスショー「BEYOND」

※最近は告知ばかりしていましたが、本来、このブログはこうしたレビューがメインなのです。
浅田真央さんが企画したアイスショー「BEYOND」を見てきました。

beyond-maotour.jp


実に素晴らしかったです。今までにないアイスショーでした。
アイスショーというのは、基本的には出演者が個別に演技していくものが中心なのですが、今回のショーは、まるで一つの舞台作品のように、一つ一つの演技が連続していきます(暗転はしますけど)。休憩なしで約2時間ぶっ通しなので、なんだか一本の映画を見たような気分です。全体を通してのストーリーがあるわけではなく、セリフやナレーションも一切ないので、前衛映画っぽいですが。
で、アイスショーというのは、氷上で演じるという制約上、基本的に舞台セットというものがないのですが、今回は、ショートサイドの大スクリーンが、背景としてとても効果的に使われていました。映像のCGも非常に良くできていて、とてもゴージャスな雰囲気のショーに演出されていました。
そして何より、スケーターのみなさんの演技が素晴らしかったです。座長である浅田さんの演技は、本当に本当に素晴らしかった。演じているというよりも、演じているものが本人のキャラクターそのものとしてそこにあると感じられました。
フィギュアスケートというのは、特に女子の場合、競技者としてのピークは10代後半までに訪れますが、多くの場合、表現者としてのピークと時期的に一致するわけではありません。今まさに、浅田さんは表現者としての円熟期を迎えているのではないかと思いました。
というか、実は競技としてのフィギュアスケートという枠は、浅田さんには小さ過ぎて窮屈だったのかなと、今回のショーを見て感じました。興行としてこれだけのアイスショーを成立させるのは、とても大変だったのではないかと思うのです。背景映像も素晴らしかったですし、スケーターがアップで映し出される天井の吊りモニターも迫力がありましたが、すごく費用も掛かっているでしょう。そのために、各種宣伝はもちろんのこと、たくさんのスポンサーを集めて、興行にこぎつけるという、単なるスケーターの枠を超えた、プロデューサー・プロモーター的な役割までこなされたはずで、それだけに、そうやって積み重ねられたものが素晴らしいショーとして結実したのを見ると、本当にすごいの一言です。開演前に流れたスポンサー企業の宣伝映像までが、浅田さん出演で非常に作りこまれていて、とても行き届いていました。
もちろん、ほかの出演者のみなさんも素晴らしかったです。アイスショーの群舞って、ふつうはどうしてもとってつけた感が出てしまうんですけど、今回は昨年9月から全国ツアーで回っているだけに、さすがの完成度でした。
個人的には、現役時代から応援していた今井遥さんの演技が、やっぱり素敵でした。動きのしなやかさとスピード感あふれるスケーティングの迫力が光っていました。競技ではそのスピード感が不安定さにもつながっていたと思うのですが、今回伸び伸びと演技をされているのを見て、しみじみ良かったと思いました。やっぱり、アマチュアでの成績がすべてではないという方が、スケーターもファンも幸せなんじゃないですかね。
その点では、今回は浅田さんのパートナーという立ち位置の柴田嶺さんも同様です。シングル時代は繊細さが持ち味だった彼が、ペアに転向して、それがこうしてアイスショーで花開くんですから、ほんと人生って何が何につながるかなんてわからないですよね。継続は力なりというのは、一つの不変の真理なのでしょう。
そして田村岳斗さん。最初から最後まで滑りまくっていて、もう大ベテランなのに過重労働じゃないかと思うんですが(笑)、変わらず雰囲気も演技もイケててカッコよかったです。
全国ツアーはまだまだ続いております。おススメです!