一回り。

まったくもって個人的な話。
というか、独り言ですが。

今日も合唱団のお手伝いに行ってきました。
今年の夏の合唱曲はフォーレの「レクイエム」で、先週からレッスンが始まっています。
この曲は一般にもファンの多い名曲ですし、もちろん私も大好きですが、
個人的にはたんに好きという以上に思い入れの深くて重い曲です。

11年前、合唱団に入って初めて歌ったのがこの曲でした。
当時は曲名すら知りませんでしたが、いつしか合唱団にすっかりなじみ、
運営の中核メンバーとして関わり、結局10年近く歌い続けることになりました。
入団したのはちょうど19歳の誕生日(あの頃はまだティーンエイジャーだったんだな 笑)。
それから今まで、自分にとって、喜びも悲しみも、出会いも別れも、すべては合唱団とともにありました。
やがて歌う余裕もなくなり、今では時々手伝いに行くことしかできません。
それでも団員のみんなは、僕の顔を見ると「今年は歌いに来られるの?」と声をかけてくれます。
先日は自分の親ぐらいの世代の団員さんが、就職祝いと言ってネクタイをプレゼントしてくれました
(実際には就職してないので非常に心苦しいのですが)。

ここ数年、まるで沈みゆく船のように、いろんな大事なものを、
あるいは投げ捨てたり、あるいは失ったりしました。
手元にほとんど何もない状態で、11年前と同じ、もと来た場所に戻ってきたような感じです。
こんな時、この年月が無駄だったと感じるか、それでもそこには何がしかの意味があったのだと
感じるのかは、現実がどうかという問題ではなく、むしろ個人の心の持ちようの問題なのでしょう。
自分としては、それはたとえ徒労であったにせよ、決して無駄だったのではないと思いたいです。
そして、わずかであっても、形あるものではなくても、今自分の手元に残っているものは、
かけがえのない大切なものとして、なんとか持ち続けていけたらと願ってやみません。

これからの新しい10年が経った時、いったい自分がどこに立っているのか、
神ならぬ身とあっては、まったく見等がつきません。
正直、あまり期待はしていないし、期待をしてはいけないと思ってはいますが(苦笑)。
今日はちょっとだけみんなに混じって歌ったのですが、やっぱり楽しかったです。
この楽しさを、またいつか自分のものにできる日が来るでしょうか?
失くした何かを、いつかまた自分の手にすることが出来るでしょうか?
過度の楽観と過度の悲観を戒めつつ、できる限りの努力を続けて行きたいものです。

ややもすればモチベーションを失いがちな、自分に対する励ましの言葉として。