杉田圭『超訳百人一首 うた恋い。』。

今日のわが街は気温39.9℃で、この夏最高の熱さだったそうです。
…っていうか、まだ「夏」なのか??

さて、先日お友達がブログで紹介していた漫画が面白そうだったので、さっそく買って読んでみました。
杉田圭『超訳百人一首 うた恋い。』
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アマゾンでポチッとクリックしたら、翌日にはもう着いてましたよ。
すごいよなーアマゾン。本好きには危険極まりないサイトだ(苦笑)。

内容は歌物語のような形式で、「小倉百人一首」の恋の歌をいくつか取り上げて、
それぞれに読み切りのショートストーリーをつけたものです。
取り上げているのは、
 在原業平&藤原高子(17番「ちはやぶる…」)
 陽成院&綏子内親王(13番「つくばねの…」)
 藤原義孝源保光女(50番「きみがため…」)
 紫式部&藤子(57番「めぐりあひて…」)
 藤原道雅当子内親王(63番「いまはただ…」)
 藤原定家式子内親王(89番「たまのをよ…」&97番「こぬひとを…」)
という6組。
この中でハッピーエンドといえるのは陽成院&綏子内親王くらいのもんで
(ハッピーなのは「二人の関係」であって、「境遇」がハッピーかというとそうではないけれど)
あとは大なり小なり「やるせない関係」を描いています。
やるせなさの中身はそれぞれ違うのですが、それぞれに共感できて楽しめました。

思うに、古今東西、人生というのは多少の差はあれ基本的にままならないものなわけですが、
前近代社会ほど、ままならなさのバリエーションは多く(性別・身分・両親・貧富…etc.)、
度合いは大きく、そして如何ともし難いものがあります。
歴史を素材にした作品にすんなり入り込めるかどうかは、
そうしたままならなさをきちんと描けているかどうかにかかっていると思うのですが、
この作品はそういうところがとてもしっかりしていて、
そこで描かれている、「人生のままならなさに対する感情」という古今東西変わらないものが、
すとんと胸に落ちた気がしました。
…まあ、こう書いてしまうとなんだかずいぶん理が勝った感想ですが(笑)。
平たく言えば、「そういうことってあるよね、ウンウン。」と素直に思えた、ということです。
定家の気持ちは良くわかる。

ある種のマゾヒズムなのかもしれませんが、
この手の「人生のままならなさに対する感情」というものは、しばしば人の心を打ちます。
それは多分、マイノリティの人たちや差別を受けている人たちの表現が、
時にマジョリティの人々の間で流行するメカニズムと通底しているのではないでしょうか。

なーんとなく、こういう作品を読むと、
「ままならない人生を、ある程度はままならないままに生きていかないとしょうがないよなー」
という気分になります。
それは、必ずしも後ろ向きというわけでもない感情です。
気持ちに区切りがつく、とでも言うんでしょうかね。

脇役キャラもちょくちょく出てきますが、
個人的に一番ツボだったのは、やっぱりと言うかなんというか、藤原兼家でした。
いいよなー、こういう困った不良中年(笑)。

あ、あと、最後に付いてる百首分の「超訳」はあまり評判がよろしくないようですが、
僕は別にこれはこれでいいんじゃないかなーと思いました。
正直なところ、中学生相手にちょっと和歌の内容を解説するくらいなら、
僕だってこれくらいざっくりした&くだけた感じのことを言ってますから。
要するに、TPOに合わせて要求される解釈のレベルが千差万別なのは当然であって、
これが気にいらんとか、こんなレベルじゃ満足できんとか言う人は、
ちゃんとした解説書を読めば良い、というだけのことです。
読み物として面白くて、内容的に入門者向けの水準を満たしていれば、
それ以上を求める必要はどこにもないと思います。
もしかしたら、こうした反応の根底には、
昨今流行の「キャラだけ時代物」コンテンツへの不満みたいなものもあるのかもしれませんが。