サヨナラ仰木監督。

仰木彬監督(本来「前監督」だけど、細かいことは抜きで行きましょう。
この人はやっぱ監督としか呼べないよ…)がお亡くなりになられました…。
去年の顛末を考えると、オリックスという球団を応援する気には全くなれなかったんですが、
それでも気にかけずにいられなかったのは、仰木監督の存在があったから。
正直この監督人事については、球団のやり口はあざといなあとも思ったものですが、
でも、この人以外にこのチームの監督が務まる人はいないだろうとは思いました。

近鉄の監督就任1年目の88年に、「時間切れ引き分け」でリーグ優勝を逃した
あのシーズン最終戦ダブルヘッダーは、もちろんテレビで見てました。
あのシーズン、当時最強だった西武を、近鉄は終盤猛烈に追い上げたんですよね。
(資料で見たら、最終20試合で14勝5敗1分らしい。1分…)
あの引き分けはほんと悔しかった…。そして、しつこく7分間も抗議して、時間切れの一因を作った
ロッテの有藤監督のことはいまだに恨めしい(監督としては仕方ないんだろうけどさあ~)。

で、89年は2位オリックス・3位西武が0.5ゲーム差にひしめく激戦を制してリーグ制覇。
つか、この年はどっちかというと「日本シリーズ(対巨人)3連勝後4連敗」ですが(苦笑)。
加藤哲郎の「巨人はロッテより弱い」(直接こう言った訳じゃないけど)は、これまたいまだに恨めしい。
(でもね、巨人は嫌いだけど、第4戦でバチッと完封勝ちをかまされた香田さんだけは好きだったから、
 多少複雑な気持ちもありました。4勝1敗で近鉄日本一!が個人的には一番良かったのに。
 香田さんがその後近鉄に移籍して活躍されたのも何かのご縁だったんですかねえ。)

話はそれますが、仰木監督の前任の岡本監督時代って激弱だった印象だったんですけど、
退任した年が最下位だっただけで、その前2年はAクラスだったんですね。

それから、オリックス時代は、就任初年度にイチローが大ブレイク、
そして何と言っても、95年のリーグ制覇・96年の日本シリーズ制覇。
これが、大震災のあった関西の人の心を、どれだけ励ましてくれたことか!
個人的には、95年は大学一回生で長期入院していたのですが、
消灯時間を過ぎてからもひたすらテレビで日本シリーズを見ていた(←不良患者)ことが思い出されます。
この年はシーズン終盤に大ベテラン佐藤義則さんのノーヒットノーランもあったなあ。

あの頃のオリックスの戦力って、ほんとに大したことなかったと思うんですけど、
あれでパリーグ連覇してしまったのはほんとにすごかった。今考えても不可思議。
球団運営上の事情もあって、そのたいしたことない戦力がさらにダウンして、
オリックス時代終盤はBクラスに甘んじていたのがお気の毒でした。
で、今年はあの根本的な問題を抱えたチームの指揮。
健康面での不安を抱えて、本当に大変だったんだろうなあと思います。

ある意味、関西人以上に関西人から愛された方だったと思います。
西鉄出身だったのは知ってましたが、生まれも福岡の方だったんですね)
本当にお疲れさまでした、そして、ありがとうございました。
関西の野球ファンはきっと、あなたのことを忘れないでしょう。
心からご冥福をお祈りします。