元気の源。

今日は恠異学会だったのですが。
面白い話を聞いてるうちに、風邪はどこかに吹き飛んでおりました。
うむうむ、かくあるべきだな(笑)。

片一方は、思想史上における「近代化」のお話。
ご本人がまだ論文の形で発表されていないものを、
他人がネット上で詳しく書いてしまうのは非常に問題があると思うので、あいまいにしか書けませんが、
自分なりに思想史上の「近代化」というものを設定した上で、
具体的に近世思想化の論争をそのテーブルの上に載せて相対化してしまったところがすごい。
多分、自分なりの新しい概念規定を提示すること、
あるいは、何らかの具体的な素材を別の視角から再構築することの、
どちらかだったらなんとかできるかな、と思うわけですよ。
それだけでもすごいことだけど。
で、両方一遍に、それもまだ博士課程の1年でやってしまうところがすごいなあと思うわけで。
門外漢だから、その内容の当否とか、視角としての有効性とかは判定できませんが、
提示されたものはすこぶる面白かったです。

ところで、質疑応答がいきなりハードな方向に転がっていってしまったので、
こんな初歩的なことは聞けなかったんですが、
「神(=祀られる超自然的存在)と妖怪(=祀られない超自然的存在)をひっくるめて
 カミ(=アニミズム的な神)と定義する」
というのが最初に大前提として提示されてたんですけど、
これってわりと一般的な考え方なんでしょうか?
それとも、複数ある立場の一つ、ないし、報告者のオリジナル?
で、この視角の有効性はわりと広いのか、
それとも近世といったある程度限定された範囲について有効なんでしょうか?
いや、ここで聞くより恠異学会の掲示板で聞きなさいって話ですけど(苦笑)。

で、もう片一方はいわゆる「神仏習合」という学術的観念の成り立ちと、
その観念の成立過程に由来する問題点の提起、というお話。
こういう学説史的な話が大好きな人をもう一人知ってますけど、
これって某大某学科の伝統なんですかね(笑)。
普段自分が考えないアプローチで、こちらもとても面白かったです。
で、それに対する別の切り口として、「王権の側による怪異概念」の立場から
神仏習合と言われているものを読み直す、ということも良くわかる。
ただ、だからといって、「怪異=王権が怪異と認定したもの」という概念規定が
すべからく共有されねばならない(と本人が言っているつもりはないのかもしれないが、
はたから聞いてるとそう聞こえる)とは私には思えんのですが。
(※「前近代王権論を読み解く方法論的ツールとしての「怪異」」という視角の有効性は認めます。
  ただ、怪異の視角がそれ「だけ」に限定されるとは思わないし、
  史料用語として現れる「怪異」のみに限定することが有益だと思わない、の意です。)
ついでに言うと、「研究対象としての怪異」というものに興味がない私には、
「妖怪学に対するアンチテーゼ」としての怪異学なるものへの思いなんて、
共有できないし、共有する気もさらさらないのですが…。

「じゃあ、お前にとって怪異とは何で、それを研究する意義は何なんだよ」ということが
問題になるわけですが、それについては来月某所の講座で話をしなくてはいけないので、
来月までにはここで公開することになるでしょう、ということで。

怪異学会の会員でこのブログをごらんになってる方って、今でもいらっしゃるんですかね?
もしいらっしゃれば、ぜひぜひご意見下さいませ。