政治史と怪異 ―貴族社会内部の事例から―

一 私にとっての怪異・怪異学

・怪異…誰かにとって「あやしい」(=その人の世界観の中で合理的に説明できない)現象
・怪異学…それぞれが何を「あやしい」と感じるか?/その現象を「あやしい」と感じる(あるいは感じ
 ない)理由は何か?/「あやしい」と感じる基準はどう違っているのか?/そうした違いが生じる原因
 は何か?/などを分析する学問

二 政治史はなぜ怪異を研究対象にするのか?

『九月三日の夜、国会議事堂の頂点に雷が落ちました。(中略)この報せを聞いて、私は三年前の五月十
 四日、小渕恵三さんが亡くなった夜のことを思い出しました。小渕さんのご遺体を乗せた霊柩車の後ろ
 について、国会、自民党本部と我々も移動した。車が首相官邸の坂を上がり、公邸にさしかかった瞬間、
 突然激しい雷雨がやってきて、官邸にも雷が落ちた。私には先日の落雷がこの時と重なって見えました。
 ああ、亡くなった竹下登さんが怒っている、この国の議会の現状をご覧になって、「お前たち、何を
 やっておる!」と。』(「野中広務独占手記」『週刊文春』2003年9月25日)

・「雷=竹下登さんが怒っていることの表れ」という意味を読み取ろうとする行為
 現代人にとっての雷=「雲と地表との間に起こる放電現象」
…「科学的」に説明/それ自体に何か意味があるとは基本的には考えない
⇔古代
 延長8(930)年6月26日 清涼殿(せいりょうでん)に落雷、大納言藤原清貫(きよつら)が死去
 大宰府流罪されて現地で死んだ菅原道真の祟りと考えられる⇒天神信仰
◎この場合、「悪行=原因」/「天変地異=結果」ですが…

・『平家物語』巻四「鼬(いたち)の沙汰の事」
 後白河院平氏によって幽閉されていた鳥羽殿に、大量のイタチが出現して走り回る
陰陽頭(おんみょうのかみ)安倍泰親(やすちか)に何の予兆か調べさせると
 「3日のうちに良いことと悪いことがあります」と返事
→3日のうちに、後白河院は鳥羽殿での幽閉を解かれて八条殿に移る。
 また、以仁王平氏打倒計画が発覚する。
◎この場合、「天変地異=何かの予兆」
 その意味を知るために御卜(みうら)が朝廷で行われたりする

☆近代以前では、天変地異などの異変と人間の営みの間には互いに関係があるとする考え方があった。
=「天人相関(てんじんそうかん)」(理論的起源は中国儒教
 判断の基本を科学の原理に置く現在の発想とは全く別の考え方
 ここでの怪異=昔の人にとって不思議なこと
(現代人にとっては不思議か/政治的意味を持つ出来事か、はさておき)

一方で…
・嘉保2(1095)年10月 比叡山延暦寺の悪僧が、日吉社の神輿を奉じて強訴(ごうそ)
→関白藤原師通(もろみち)、武士に命じて弓矢を射させて撃退
→4年後の康和元(1099)年6月、師通急死(38歳)「そのタタリ」(『愚管抄(ぐかんしょう)』)
 現代人にとって、神にたいして良くないことをした時にタタリがあると考えるかどうかは人それぞれ。
 少なくとも、タタリがあると考える理由は「科学の法則」によるものではない
←→中世の人間にとって「神に悪い事をすれば罰が当たる」のは、ある意味で当然の出来事
 (というより、「タタるもの」が神)
 「仏教の教義でいけないとされていることをすれば罰が当たる」のも同様
神罰・仏罰の考え方…現代人にとって不思議なこと(=科学的に説明がつかないこと)
 昔の人にとっては当然のこと

◎かつての武士研究では、地方の武士が貴族社会で重きをなすようになった原因を、
 「貴族の強訴に対する無力さとその防御のための武士への依存」と考えていた
→現在では、強訴への貴族の恐怖感はあくまで宗教的権威に対するものであり、物理的な暴力に対する
 ものではないと考えられている(元木泰雄『武士の成立』)
 強訴への恐れが高まるきっかけが、この嘉保2年の延暦寺強訴と師通の急死
・従来の学説の背景…現在の発想で中世の史料を読み、中世社会を分析する姿勢

①現在の私達の世界観と、中世の人々の世界観はかなり違う
②中世においては、怪異というものが政治において重要な位置付けを与えられていた
▽政治史を研究する上では、中世の怪異観を分析することが不可欠