何を未来に残すのか?

2月16日・23日の2回にわたり、毎日新聞夕刊で「解体高松塚」という対談が掲載されました。
 解体・高松塚:専門家が対談/上 和田萃さん/河上邦彦さん
 解体・高松塚:専門家が対談/下 和田萃さん/河上邦彦さん
対談したのは和田萃京都教育大学教授・古代史)・河上邦彦(神戸山手大教授・考古学)の両氏。
この問題に関して私はまったくの門外漢ですが、内容はとても面白かったです。
何しろお二人の言い分がまったく食い違っていて(笑)。

高松塚古墳の解体問題に対する意見の食い違いは、ある意味で「究極の選択」のような部分があるので、
この部分での意見の対立はあって当然だろうと思います。
現状を放置しておけない以上、合意形成に時間をかけていられない状況なわけで、
「ああいう状況をこれから生み出さないためにはどうして行けばよいのか」
「ああいう状況が起こってしまった時にどのように対処していくべきなのか」
は、今後議論していくべき内容なのでしょう。

じゃあ、何が面白かったのかというと、それはその究極の選択の中に立ち現れてくる、
「現地保存の原則をどう考えるか」、さらには「文化財保護はいかにあるべきか」という原則論の問題です。
この論点についての意見の相違は、対談の出だしから現れていて、
--「もうあきらめよう」とはならないのか。

 河上 それは極めて後ろ向き。外に出して維持できるのなら外に出し、遺物として扱えばいい。

 和田 考古学の鉄則は現地保存。解体でほかへ移し、戻さないとすると「国の特別史跡で」という批判を受ける。文化財保存の悪例だ。なぜ汚損したのかの検証がなおざりだ。
という調子です。

で、前半の最後の方では、
 和田 解体して博物館で展示するのなら、考古学の現地保存という鉄則は消え、何でもありになってしまう。

 河上 美術史の上原和さんは、見つかった当初から、壁画を外して外へ出すべきだと言っていた。そういう考え方も一部にはあった。美術史の視点ではあるが、考古学だって現状維持ができないのなら、外に出している。

 和田 (高松塚は)特別史跡で、国宝なんですよ。

 河上 それは、人間が勝手に決めたこと。壁画は恐らく国宝として残るが、古墳を特別史跡のままで維持できるかどうか。壁画は日々、状況が悪くなっている。私は考古学を研究しているので、絵よりも古墳のほうが大事だと思っているが、それでも壁画は(キトラ古墳のものと合わせて)わずか二つしか残っていない。その二つとも外へ出すしかないという状況を強く認識すべきだ。日本の気候、風土の中では、古墳の壁画は遅かれ早かれ、出さなければならないという流れになった。今後、3基目の壁画古墳が見つかれば、出すべきだと私は言う。

 和田 高松塚は世界的な遺産。「特別だから」という理屈は分かるが、現地保存の鉄則を崩してまでやるのか、ということだ。何でもあり、であってはならない。

 河上 墳丘に戻さなければ、特別史跡を外してしまう以外にない。解体してまで文化財を保存しようとしたその努力を示す、記念すべき例になるのではないか。
つまり、「遺跡は現地にあってこそ意味を持つのだから、場所を移してまで保護すべきではない」のか、
「遺跡の一部をなす文化財は、場所を移してでも保護するべき」なのか。
後者の場合、「現地での保護が可能になれば再び現地に戻すのか」という問いが付随的に生じてきますね。
もっと言うと、現地保存の原則を過去にまでさかのぼらせて、
例えば「現在大英博物館にあるロゼッタストーンはエジプトに戻すべきなのか」とか。

んー、個人的には、現時点で回答を迫られれば、
・可能な限り現地で保存するけど、現状では維持できないということであれば解体・移転もやむなし
(つまり、今回の高松塚に関しては「解体もやむなし」)
・現地に帰すかどうかはケースバイケースでそのときどきに議論する。
(法的所有権の問題や、信仰上の問題など、考慮すべき問題は個別事例によって異なると思うので。
 今回の高松塚に関しては、掘り出してしまった以上博物館で公開が良いかと思いますが)

というか、これって突き詰めれば、
「私たちはなぜ文化財を現地で残すのか」とか、「私たちは何を文化財とし、何を残すのか」とか、
そもそも「なぜ私たちは文化財を残すのか」といった問題につながるのでしょうね。
現時点での答えの中身どうこうよりも、よく考え、自分なりの理由付けをきちんとすること、
何より自分に不断にこの問いを投げかけていくことが大事なのでしょう、きっと。

さて、後半で面白かったポイントがもう一つ。
 --今回の解体では、何が成功で、何が失敗なのか。

 河上 壁画の損傷なしに石室を解体できれば成功だと思う。壁画が元に戻るようなことは絶対ない。現状を維持することさえ危うい。壁面に大きく傷がつかない限りは、石が多少割れても成功というべきだろう。

 和田 私は、解体すること自体が失敗だと思う。

 河上 考古学の立場からすると、古墳を徹底的に掘ると、古墳の造り方などが明らかになる。高松塚では最近、むしろを敷いていたのが分かった。これは画期的な成果だ。版築も遺構の一部として重要。掘ることは、それらをつぶしてしまうことでもあるが、破壊によって得られるものは、決して少なくない。容認するという話ではないが、やむを得ないことでもある。何かを解明しようと思えば思うほど、掘ることにつながり、どんどん遺跡をつぶしていくことになる。

 和田 じゃあ、考古学は破壊の学問ということ?

 河上 そうですよ。

 和田 では、保存の問題はどうなるのか。

 河上 保存は文化財の問題。すべて発掘したら何にもなくなる。だから、ある部分で止める。それが保存。今分からなくても、将来分かることはある。石室が完存しているのに、わざわざ解体することはない。文化財は、国民の遺産としてきちんと残さなければいけない。すべて掘ってしまったら何にもならない。

「考古学は破壊の学問」とは思い切ったね、とは思うんですが、
この発想って考古学の人にとっては当たり前だったりするんですかね?
考えてみれば、例えば「中世の遺構が出たけど、下にまだ弥生時代の遺構がある」という場合、
多分中世の遺構を削ってさらに下まで掘ることになるんでしょうか。
あと、たしか以前、古代史の人から、「平城京は将来技術が進んだ時のために半分は掘らずに残してある」
という話を聞いたことがあります。
要するに、「今の技術ではわからないけれど、将来わかるようになる、という情報があるかもしれない。
それを今全部掘っちゃうと、先々そうなった時にわからなくなるから残しておく。」という趣旨です。
一度掘っちゃうと、同じ現場は再現できないわけで。
そう考えてくると、確かに「考古学は破壊の学問」という面もあるのかな、とは思います。
どうなんでしょうね。学部の時に考古学の概論の講義でも取っとくんだったなあ~。

とまあそんなわけで、特にオチのない話ですが、
もとの対談は面白いのでぜひご一読されることをおススメします。