ジェネレーション・ギャップⅡ。

昨日は研究会で報告でした。
オリジナルの研究発表ではなくて、史料の輪読(昨日は藤原頼長の日記『台記』)ですが。
輪読形式の研究会は、オリジナルの報告と違って自分で1から話を作らなくてもいいのですが、
面白い報告にするためには、自分でトピックをひねり出して、膨らませなくてはいけません。
昨日はあんまし「うまく行った」感じでもなかったんですが、
担当してた記事そのものの面白さでどうにかなった感じです。
ま、なんにせよとりあえず無事に終わってよかったです。
「やれることからこつこつと」ですから。

で、終わってから、飲みに行く人は残って、
(うちのゼミの研究会は先生の意向を反映して飲み会がデフォで付きます 笑)
用事がある人は帰って、だったのですが、
先生がふと思い出したように、「そういえば○○くんに渡すものがあったから、誰か呼んで」と。
そこで、後輩の4回生(というか、新M1)の女の子が電話をかけました。
で、以下全発言。

「すいません、すぐ戻って下さい。」

~~~通話終了~~~

いくらなんでも戻ってほしい理由くらいは説明するんじゃないか(笑)というのはまあさておいて。

私「えっ、○○さん、電話かけたときにまず名乗らないの?(笑)」
後輩さん「え、いや、家電にかける時は名乗りますけど、携帯だったら表示が出るじゃないですか。」
私「いや、そりゃそうなんやけど」

確かに携帯に登録してあるところにかけたらまず間違いないし、
携帯電話にかけた場合、出るのはまず間違いなく本人です。
知った相手なら、相手もたいてい自分の番号を登録しているでしょう。
でも、慌ててて「操作ミスとかで間違った相手を選択した」りする可能性だってあるし、
(僕は何度かあります…けど、そんなことするのって僕だけなんでしょうか??)
「受けた側が発信先を確認しないまま取って、相手がわかんない」とか、
その他いろんな可能性もありえると思うのですが。

というか多分、固定式電話での会話のフォーマットが先に定着してしまってる人は、
「携帯電話だから会話の入り口を省略する」というのがなーんか不自然なんですよね。
別に固定電話のときと同様、名乗りゃあいいじゃんか、と。
逆に「電話をかけるといったら当たり前のように携帯電話」という人にとっては、
携帯電話での会話のフォーマットが先に定着しているから、
そんなの名乗らなくても分かるから言う必要ないでしょ、ということになるのかなあ、と。
これって多分、「自分がいくつの時に携帯電話が普及したか」に関わるジェネレーション・ギャップ
じゃないかと思うんですが、この断層はいったい何歳ぐらいのところに存在するんでしょうね?
(ただし、就職して自分で責任のある電話に出なくてはいけなくなった人は、
 年齢に関わらず、「携帯だろうが電話にはすべからく名乗るべし」という風に
 なるんじゃないかという気はします。)

ちなみに、ずいぶん前に書いた「ジェネレーション・ギャップ」の記事はコチラ