西美濃紀行(その2)。

イメージ 1

さてさて、ずいぶん前に書いたままになっている西美濃紀行の続きです。
前回たどり着いた青墓宿の標が地図のSTART地点。(地図はクリックすると拡大されます)

ここからA円願寺跡→B円興寺→(元円興寺)→C源朝長墓→D美濃国分寺跡と歩きます。
ここまでですでに3キロほど歩いてるんですが、ここからの行程で大体6キロほど、
うち山道が2キロ強という行程です。

さてさて、この先の解説のためには、
まず平治の乱以前の源氏と青墓宿との関係を説明しなければなりません。
まず、青墓宿には、「宿の長者」と呼ばれた大炊を称する一族がおりました。
で、当時の青墓宿には遊女がたくさんおりまして、
(高速のICを出たとこにラブホテルが立ち並ぶようなもんかな 笑)
その遊女たちの長者も大炊氏だったわけです。

で、東国を基盤にしていた源義朝は、東国と京都を行ったり来たりするわけですが、
その途上の要所である青墓宿で、大炊の息女といい仲になって、娘をもうけるわけです。
ちなみに源義朝東海道遠江国池田宿の遊女ともいい仲になって、
六男の範頼のもうけています。
なんかこう、やってることが「港毎に女がいる船乗り」みたいですが(笑)、
東国と京都を行き来する義朝にとっては、
交通路の確保の一環として、重要な意味を持っていました。

で、平治の乱で負けた義朝主従は青墓宿に落ち延びてきます。
ここでも落人狩りにあうのですが、家人である源重成美濃源氏)が身代わりになって
子安の森で自害し(これは前回書きました)、
義朝はさらに逃げて、結局は尾張国野間で長田庄司忠宗の裏切りにあって殺されます。
一行には義朝の次男朝長もいたのですが、彼は足を怪我したために逃走をあきらめ、
父義朝に介錯されて死んだ、あるいは自害したとも伝えられています。
そんなわけで、青墓には源朝長の墓があるのでした。

さらに青墓宿の出身の遊女として知られるのが、
梁塵秘抄』で後白河の今様の師となったとされている延寿です。
そんなこんなで、この付近一帯は院政期を研究する人間としては外せない史跡なのです。

さて、上の解説で疲れたので(笑)、こっから先は写真メインで説明はちょろっと。

・円願寺
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497051/img_1497051_45474586_1?2007-03-15 23:51:04
源朝長墓はもともと円興寺にあったのですが、街道から奥まっていて参拝しにくいので、
墓と同じものがふもとの円願寺に置かれたと言われています。
解説の駒形の傾き具合がなんとなくイイです。

・円興寺
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497051/img_1497051_45474586_2?2007-03-15 23:51:04
円興寺は青墓宿長者である大炊氏の菩提寺です。
本来は付近の山一帯に広がる大伽藍でしたが、織田信長の攻撃によって焼失し、
現在はこじんまりとしたお寺になっています。
境内には『梁塵秘抄』の石碑なんかも。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497051/img_1497051_45474586_3?2007-03-15 23:51:04

・元円興寺跡
で、円興寺の東向かいの山をてろてろと登っていくと元円興寺跡に着きます。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497051/img_1497051_45474586_4?2007-03-15 23:51:04
遺構の残りが良いといえば良いし、わかりにくいといえばわかりにくいし…という感じ。
廃絶した寺院の遺構としてはよく残ってる方なんですけどね、
一般の人が見て面白いくらい残ってるかというとちょっと難しいかな~。
整地面や盛り土が良くわかって、ところどころに礎石が残ってるという感じです。
例えばこんな感じ。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497051/img_1497051_45474586_5?2007-03-15 23:51:04
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497051/img_1497051_45474586_6?2007-03-15 23:51:04
昔行った平泉寺(福井県)の遺構もこんな感じだったな~と思いました。
平泉寺の方がはるかに大規模ですけどね。

・源朝長の墓
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497051/img_1497051_45474586_7?2007-03-15 23:51:04
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497051/img_1497051_45474586_8?2007-03-15 23:51:04
元円興寺跡から南に下っていくと、源朝長の墓・大炊一族の墓があります。
源朝長の墓は、源義朝・頼朝墓(正確には「供養塔」でしょうね)や、
従者三人の墓とセットになっています。

もう少し行くと展望台があるんですが、付近の地形が良くわかってよろしいです。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497051/img_1497051_45474586_9?2007-03-15 23:51:04