文は人なり。

京都で「10月22日」といえば、世間一般的には時代祭の日であり、
現地の人間にとっては鞍馬の火祭の日です。
今年は珍しく観に行ける日程で、しかも午後から研究会でちょうど京都に出る用事があったので、
両方観に行く気満々だったんですが、朝からズビズビズビ…の鼻水地獄に堕ちたので断念。
まあなー、特に鞍馬の火祭は、「叡電がダダ混み」・「深夜に終わるから家に帰れない」・
「頭からひたすら煤をかぶる」とひじょーに過酷な祭ですからね。
(おまけに数年前に観に行った時には雨だった…あれはほんと悲惨だったなー)
多分過酷さの度合いでこれの上を行くのは、自分は行ったことがないですが、
噂に聞く限りでは春日若宮のおん祭ぐらいかと。
おん祭は、帰れなくなる上に、奈良は終夜営業のお店なんてほとんどないので
「12月の寒空の下、一晩外で夜明かし」という状況になります。

まあそんなわけで、今日は家に帰って食事してからとっとと寝てました。
目がさめてこれ書いてますが、書いたらまた寝ますかねー。
とりあえず食って寝て治すしかしょうがないもんなあ。
寒くなってしまえば大丈夫なんですけど、変わり目がダメなんですよね。

ところで、先日某所で適当なハンドルネームを使ってコメントを付けたら、
今日の研究会のあとで後輩に「あれってやっぱり○○さんですか?」と聞かれました。
んー、やっぱわかるんだなあ。
後輩が言うには、論法と言葉遣いで見当がついたそうです。
まあ確かに、親しい人にはすぐわかるでしょうね。
個人的にこうやって書いてる分はともかくとして、論文についても、
「名前と論文名伏せてても誰が書いた文かすぐわかる」と言われる研究者になりたいものですが。
(素材や内容によってではなく、文体によって。)
個人的にそういう意味で憧れるのは笠松宏至先生なんですけどねー。
研究の内容もさることながら、あの文章は個性的だよなーといつも思うので。