柳生~笠置を歩く(その1 円成寺)

さて、先日の柳生~笠置歩きのその1ということで、
まずは柳生への途中にある忍辱山円成寺(にんにくせんえんじょうじ)へ。
近鉄奈良駅からバスで15分~20分てとこでしょうか。

バス停を降りて林の中の道を少し進むと、池のあるこじんまりとした庭園に出ます。
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ただの小さな庭園と思うなかれ、これが平安時代後期に作られた浄土式庭園
(中島を極楽浄土に見立てている)の数少ない現存例の一つなのです。
こういうところが奈良の寺院って侮れない…。

楼門は応仁二(一四六八)年のもの。重文。
で、ここから登るのではなく、脇の道から登ります。
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本堂(重文)。紅葉がきれいです。
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本尊は阿弥陀如来で、周囲に四天王像が配されています。
あと、平成に入ってから再建された多宝塔には、運慶作の大日如来像(国宝)が安置されています。

春日堂&白山堂
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何の変哲もない小さなお堂に見えますが、実はこれが現存最古の春日造の社殿で国宝。
こういうところが…(以下略)。
円成寺の鎮守として安貞二(一二二八)年に建てられたものなのですが、
「堂」と名がつけられているのは、明治初年の神仏分離による破却を免れるため。
神仏分離以前の信仰の姿って、やっぱ相当破壊されたんでしょうね。
春日造社殿というのがそもそも何なのかは…まあ聞かないでください(苦笑)。
現物見るのが一番手っ取り早いですよ、ってことで、
春日堂
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白山堂
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んで、その横にはさらにこじんまりとした宇賀神本殿が。
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こちらは重文。こういうところが…(以下略)。

さて、建物は他にもいろいろあるんですが、一行がわらわらと群がったのがこの三体の石仏。
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何の変哲もない石仏(阿弥陀如来地蔵菩薩二体)に見えますが、
阿弥陀さまには「天文十九年二月十五日重栄」(天文十九年=一五五〇年)、
地蔵さまの一つには「永禄元年八月廿四日」(永禄元年=一五五八年)の銘が。
今から450年ほど前のものなんですね。
こういうところが…(以下略)。まあ実はこのくらいの年代のものは他地域でも結構ざらですけど。
ただ、見ての通り特に解説板等は設置されていないので(あってもいいのにと思うけど)、
あらかじめ下調べとかしておかないと、そんなことわかんないですよね。
実際、わたしたちがきゃっきゃきゃっきゃ言って嬉々として見ていると、
他の参拝者の方が「何かあるんですか?」と訊かれましたし。
一般に、「石造物を見たら銘を探す」というのは研究者共通の習性だと思われます。
石造物の周りにかがみこんでいる人間を見たら、たいていカタギの人間ではありません(笑)。
でも、こういう銘が見つかるとなかなか楽しいので、
みなさん古いお寺に行かれたときは隅々まであるいて、石仏などを見つけてみてください。

ちなみに、今回は道中ずっとこんな感じです(笑)。

円成寺だと、このほか庭園内の池にある石臼には「元弘三辛巳十二月十七日」の銘が(元弘三=一三三三年)。
そして、池の西方の茂みの中にあるのが十三重石塔
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高さ約4.5m。デカい!
そして下の方がかなり劣化してて今にも壊れそう…。
平安時代後期の、かなり古い作例のようです。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497050/img_1497050_50603289_9?2007-11-22 22:52:47
最下層に梵字が彫られてますけど、これが平彫りなんですね。
で、もっと時代が新しくなると、これが薬研彫りになるのだそうです、
と先輩の話の受け売り(笑)。

話の振り出しでこれなので、まだまだ続きます。