史跡巡りの間(京都以外の近畿)

雪の奈良。

昨日はたまたま奈良で宴会だったのですが、こういう日に限って大雪です(苦笑)。 せっかくなのでどこかに寄って行こうと思っていたのですが、 最小限の範囲に止めようと、まだ行ったことがなかった奈良市内の国宝建造物である、十輪院本堂へ。 雪道で距離感…

傀儡師故跡。

尼崎から阪神電車で西宮駅に移動。 阪神西宮駅の西側にあるのが、「傀儡師故跡」の碑です。 傀儡師は、人形操りの芸を見せる芸能者ですね。 この付近はかつて「産所」と呼ばれ(現在の地名も「産所町」です)、 室町期になると傀儡師の集団が居住し、西宮神…

長遠寺・佐々成政墓(尼崎の寺町・その2)。

前回の「本興寺」の続きです。 尼崎の寺町には九つの寺院が現存していますが、 重要文化財に指定されている建造物としては、前回紹介した本興寺開山堂・方丈・三光堂のほか、 長遠寺本堂・多宝塔があります。 長遠寺は寺伝によると1350年(観応元)に日…

本興寺(尼崎の寺町・その1)。

去年の12月にゼミの遠足で行った尼崎・西宮の史跡の紹介です。 尼崎はもちろん工業都市なのですが、もともとは大物浦のあった海上・河川交通の要衝で、 近世に入ると尼崎藩が置かれ、1617年(元和3)に尼崎城が築城されます。 近代の工業化や太平洋戦…

桜井神社。

さて、住吉大社の次に向ったのは、堺市にある桜井神社です。 堺とは言っても、場所を調べてみると… そりゃもう、堺というよりは大阪狭山か河内長野じゃないか、という(苦笑)。 うー、「堺=港町」ばかりじゃないってことですね。 合唱のレッスンの前だった…

住吉大社。

ずいぶん前の話になりますが、11月に第九の指揮者レッスンが大阪の堺市でありまして、 じゃあせっかくだから、ついでにまだ行ってない国宝建造物を見てくるか、ということに。 まずは大阪市内にある住吉大社です。 伝承によると、住吉大社は200年(仲哀…

浄土寺(播磨の国宝巡り・その4)。

播磨の国宝巡り、最後の目的地は兵庫県小野市の浄土寺です。 浄土寺は俊乗坊重源を開山として建久年間(1190~98年)に創建された寺院です。 浄土寺一帯は東大寺領大部庄で、重源による東大寺再建事業の拠点の一つでした。 で、東大寺南大門などと同様…

朝光寺(播磨の国宝巡り・その3)。

昼食を食べて腹ごしらえを済ませ、次は加東市にある朝光寺へ。 朝光寺は一つ前の一乗寺と同様、法道仙人が651年(白雉2)に開基したという伝承をもつ寺院です。 もともとの所在地は三草山(権現山)だったのが、 1184年(元暦元)の一ノ谷の合戦の前…

一乗寺(播磨の国宝巡り・その2)。

鶴林寺の次は、加西市の一乗寺へ。 観光バスに乗って寝てたら着くって快適だ…。 一乗寺は西国三十三箇所の第二十六番のお寺で、本尊は当然ながら観音様です(聖観音菩薩)。 寺伝では、650年(白雉元)に孝徳天皇の勅願で法道仙人を開基として創建された…

鶴林寺(播磨の国宝巡り・その1)。

「播磨の国宝巡り」ツアー最初の目的地は、加古川市の鶴林寺です。 鶴林寺は寺伝では589年(崇峻天皇2)に創建された寺院で、 聖徳太子が高麗から来日した僧である恵便のために建立したとされています。 実際、奈良期以前の聖観音像があることから見て、…

播磨の国宝巡り。

本当はもっと早く正解を出すつもりだったんですが、忙しさにかまけて遅くなってしまいました。 一つ前の記事の正解は、兵庫県加西市の一乗寺でした。 詳細は別記事でまた出しますが、こちらの三重塔は1171年(承安元)に建造されたもので、 国宝に指定さ…

霊山寺。

飛び飛びになっていた奈良のレポですが、これで最後、霊山寺です。 所在地としては奈良市で、交通手段は学園前の駅からバスになります。 寺伝によると、まず、小野妹子の子である富人は壬申の乱(672年)に加担したかどで右大臣の地位を辞し、 登美山に閑居…

長弓寺。

最初の予定では、前回の西大寺でこの日の行程はおしまいだったのですが、 2時過ぎには回り終わって、せっかくだからということで、さらなる国宝建造物制覇に。 近鉄学園前駅に移動して、さらにバスに乗り、着いたのは長弓寺。 このお寺はどうも来歴がよくわ…

西大寺。

秋篠寺から今度は南に下って、西大寺へ。 世間的には岡山の西大寺の方が知名度が高そうな気が…って、 どっちかと言うとどっちも「知る人ぞ知る」寺院なんですかね。 西大寺は764年(天平宝字8)に称徳天皇の御願寺として建てられた寺院で、 当初は名前の…

秋篠寺。

長らくほったらかしにしていた奈良のレポの続きです。 平城宮大極殿から近鉄西大寺駅に出て昼ご飯を食べて、午後の部の振り出しは秋篠寺。 秋篠寺は善珠僧正の開基と伝える寺院で、史料上の初見は780年(宝亀11)です。 建立の事情は良くわからんのですが…

平城宮大極殿。

相変わらず進まない、奈良のレポの続きです。 法華寺の次の目的地は秋篠寺だったんですが、 歩いて移動する途中なので、せっかくだから寄って行きましょうということに。 平城遷都1300年祭の会場である、復元された平城宮大極殿です。 まあなんていうか…

法華寺

海龍王寺のすぐ裏手にあるのが法華寺です。 745年(天平17)に光明子の皇后宮を宮寺としたのが法華寺の始まりで、 大和国の国分尼寺にして、全国の総国分尼寺です。 (ただし、国分寺・国分尼寺の制は741年(天平13)に始まるので、 それまでどう…

海龍王寺

不退寺から少し歩いて、次に向ったのは海龍王寺。 海龍王寺は、寺伝では731年(天平3)に光明皇后の発願で玄昉を住持として建立された寺院とされています。 藤原不比等の旧第である光明皇后の宮の北東隅に建てられたことから、隅寺の別称でも呼ばれます…

不退寺。

5月末のことになりますが、関西に来た友人と一緒に奈良をあちこち回ってきました。 振り出しは、友人の宿願の地ということで、不退寺です。 不退寺は809年(大同4)に平城上皇の隠棲の地として「萱の御所」と称したのが始まりとされており、 平城の皇子…

上津屋橋(流れ橋)。

今日ご紹介する上津屋橋は、厳密に言えば多分「史跡」ではなくて「史跡もどき」です。 が、「立派な」と冠したくなるような史跡もどきです。 そして、おそらく、多くの人が映像でご覧になったことがある橋です。 これなんですけどね。 ご覧の通り、いまどき…

西教寺(大津寺社ツアー・その4)。

ほったらかしにしてた春の遠足のレポです。 鶴喜そばでご飯を食べてからは日吉大社に行ったんですが、 それはまあ以前にも記事を書いているので、そちらをご覧下さい。 前回に引き続き、今回も奥の院に行けなかったのが心残り。 奥の院て、地図だけ見てると…

石山寺・その2(大津寺社ツアー・その3)。

さてさて、石山寺といえば各種文学作品との関わりが深いことでも有名なわけですが、 とりわけ最近は、『源氏物語』との関わりが寺側としてはイチオシのようです。 「紫式部は石山寺に参籠して『源氏物語』の着想を得た」という伝承ですね。 で、本堂にあるの…

石山寺・その1(大津寺社ツアー・その2)。

義仲寺から膳所駅に戻り、京阪電車で石山寺へ。 石山寺駅から門までは歩いて10分という感じ。 石山寺は聖武天皇の発願で奈良時代の747年(天平一九)に建てられたお寺です。 開山は初代東大寺別当でもある良弁で、761年(天平宝字五)に設置される造…

義仲寺(大津寺社ツアー・その1)。

昨日は研究室の新歓遠足&宴会でした。 遠足の行き先は、大津市内のいろいろな寺社です。 まずは朝10時に膳所駅に集合。 びわ湖の方に歩いていき、国道一号線の手前で左に折れるとすぐにあるのが義仲寺です。 その名の通り、源義仲の供養のために建てられ…

宇太水分神社(国宝三寺社一気制覇・その5)。

長谷寺→大野寺・室生寺と見て、多分一般的なお出かけならこれで打ち止めなのですが。 この地域にはもう一件、国宝建造物がありまして。 長谷寺駅と室生口大野駅のちょうど間の駅である榛原駅からバスで約15分、 宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)がそ…

室生寺・その2(国宝三寺社一気制覇・その4)。

まだちょっと残っていた、室生寺のレポの続きです。 決して忘れていたわけではなく。 五重塔の脇の道をだーっと登っていくと、奥の院に着きます。 奥の院(御影堂)…のつもりで撮ったら、実はこれは位牌堂らしいです(ええ~!)。 道はそこそこハード。 奥…

室生寺(国宝三寺社一気制覇・その3)。

室生口大野の駅からバスに15分ほど乗ると、室生寺に到着。 バス停からお寺までは、谷間のちょっとした門前町といった風情です。 室生川にかかる橋を渡って、いざいざ。 室生寺は「女人高野」の通称でわかるように真言宗のお寺ですが、 もともとは宝亀年間…

大野寺(国宝三寺社一気制覇・その2)。

さて、長谷寺から近鉄電車で2駅東へ行くと、室生口大野という駅です。 室生寺まではここからバスになるんですが、 乗り継ぎまで時間がちょっとあいたので、駅から程近いところにある大野寺へ。 寺伝によると、大野寺は681年(白鳳9年)に役小角が草創し…

長谷寺(国宝三寺社一気制覇・その1)。

さて、今月の上旬に行ってきた国宝三寺社巡りのレポです。 振り出しは奈良県桜井市の長谷寺。 なんといっても本尊の十一面観音が有名で、西国三十三箇所観音霊場の第八番札所になっています。 門をくぐると、長い長い登廊というのがあります(重要文化財)。…

壺井八幡宮(竹内街道を行く・その9)。

このシリーズも今回が最終回です。 旅の終着点は壺井八幡宮。 1064年(康平7年)に前九年合戦から凱旋した源頼義が、 屋敷の東側に氏神である石清水八幡宮を勧請したのが始まりとされています。 なので、祭神はもちろん応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。 …