プレ五輪としての世界選手権(男子編)。

さてさて、フィギュアスケートの世界選手権開幕まであと半月ほどです。
「来年のバンクーバー五輪の行方を占う大事な試合!」とあちこちで喧伝されているこの大会ですが、
実のところ、五輪前年の世界選手権の結果は、どの程度五輪本番と対応しているのでしょうか?
「1年で急激に台頭して金メダル」という展開があまりないペアとアイスダンスはちょっと置いておいて、
男女シングルについて、ここ20年の例を見てみると、実はこんな感じです。
・男子
まずは、五輪前年の世界選手権のメダリスト一覧表(以下すべて、左から順に金・銀・銅)。
1991年ミュンヘン  K・ブラウニング V・ペトレンコ  T・エルドリッジ
1993年プラハ    K・ブラウニング E・ストイコ   A・ウルマノフ
1997年ローザンヌ  E・ストイコ   T・エルドリッジ A・ヤグディン
2001年バンクーバー E・プルシェンコ A・ヤグディン  T・エルドリッジ
2005年モスクワ   S・ランビエール J・バトル    E・ライサチェク
で、じゃあ本番の五輪での成績はどうなったかというと…
1992年アルベールビル V・ペトレンコ  P・ワイリー   P・バルナ
1994年リレハンメル  A・ウルマノフ  E・ストイコ   P・キャンデロロ
1998年長野      I・クーリック  E・ストイコ   P・キャンデロロ
2002年ソルトレイク  A・ヤグディン  E・プルシェンコ T・ゲーブル
2006年トリノ     E・プルシェンコ S・ランビエール J・バトル
なんと、「五輪前年の世界選手権覇者が、五輪本番の金メダルを取った例は0」という驚きの結果に。
これに大きく寄与?しているのは、もちろんというかなんというか、カート・ブラウニングです。
世界選手権は3連覇を含む4回の優勝を誇りながら、五輪では金メダルどころかメダルすら0。
それも、アルベールビルリレハンメルの間は、開催年の移行期間で例外的に2年しかなかったのに。
当時のことはリアルタイムでは知りませんが(記憶がちゃんとあるのは長野からなので)、
このデータを見てるだけでも、ファンのため息が聞こえてくるようです。

で、勝ち負け両方で1回ずつデータを狂わせているのがプルシェンコ
00-01年シーズンでは出場した国際試合のすべてに勝って
ヤグディンとのライバル関係に決着をつけたかとさえ見えましたが、
五輪直前のプログラム変更などもあり、ソルトレイクではSP4位と出遅れまさかの完敗。
で、トリノの前年は地元モスクワでの世界選手権をSPのみで棄権したものの、
翌年の五輪本番では万全の体調ではなかったものの圧勝。

で、メダリスト全体にまで話を広げると、
「前年の世界選手権で表彰台に名前がないのに五輪でメダルゲット」というのは15人中7人とほぼ半分。
ワイリー、バルナ、キャンデロロ(リレハンメル)、ゲーブルは、
世界選手権でメダル獲得経験なく、五輪でいきなり初メダル、というパターンです。
キャンデロロは長野の時も、前年の世界選手権には出場もしていません。
全盛期は過ぎていたにもかかわらず、長野では渾身の「ダルタニアン」で銅メダルをゲット。
勝負強さというか集中力というか、
ここ一番というところで実力を出し切れるというのはつくづく偉大ですね。

逆に言えば、「前年の世界選手権で表彰台に名前があったのに、五輪でメダルゲットならず」というのも
7例あるということになります。
内訳はブラウニング(×2)、エルドリッジ(×3!)、ヤグディン、ライサチェック。
トッドファンとしては思わず涙したくなる数字です…。

意外に長くなったので、女子のデータはまた別記事で。