光明寺二王門。
昨日は帰ってきたら疲れ果てて寝てしまい、今日は今日で研究会で報告が当たっていたので、
それを無事終えて、ようやくにして昨日の問題の回答編です。
それを無事終えて、ようやくにして昨日の問題の回答編です。
で、昨日の写真は何かというと、綾部にある光明寺でした。
名前はまったくもってマイナーなお寺だと思いますが、写真の二王門が実は国宝。
これがまたえらい山奥にありまして…。
まあ聞いてくださいよ、そこのあなた(笑)。
名前はまったくもってマイナーなお寺だと思いますが、写真の二王門が実は国宝。
これがまたえらい山奥にありまして…。
まあ聞いてくださいよ、そこのあなた(笑)。
もともと、この日は綾部市で古文書学会の見学会があったんです。
綾部も僕の住んでいる京田辺と同じく京都府内ですが、電車で片道3時間はかかります。
(タイミングの合う特急列車を使えば、もうちょっと早く着くけど)
せっかくそんな遠いところに行くんだから、どうせだったらおまけをつけたいなあと思い、
そういえば国宝の光明寺って綾部じゃなかったか?ということで、計画開始。
綾部も僕の住んでいる京田辺と同じく京都府内ですが、電車で片道3時間はかかります。
(タイミングの合う特急列車を使えば、もうちょっと早く着くけど)
せっかくそんな遠いところに行くんだから、どうせだったらおまけをつけたいなあと思い、
そういえば国宝の光明寺って綾部じゃなかったか?ということで、計画開始。
で、見学会は午後1時から。
それまでに見学しようとすると、朝6時22分に京都駅を出る普通電車に乗らなくてはなりません。
そのためには、近鉄新田辺駅を5時48分に出る急行に乗らなくてはいけません。
ところが、近鉄新田辺まではJRかバスになるのですが、
どちらの始発もそれに間に合う時間には走っていないのです。
というわけで、結局朝5時過ぎに起き、自転車を25分ぶっ飛ばし、ようやっと近鉄電車に。
それまでに見学しようとすると、朝6時22分に京都駅を出る普通電車に乗らなくてはなりません。
そのためには、近鉄新田辺駅を5時48分に出る急行に乗らなくてはいけません。
ところが、近鉄新田辺まではJRかバスになるのですが、
どちらの始発もそれに間に合う時間には走っていないのです。
というわけで、結局朝5時過ぎに起き、自転車を25分ぶっ飛ばし、ようやっと近鉄電車に。
ここからがまた苦難の道のりで。
綾部駅からはバスに乗ること40分、最寄のバス停からなら歩いて30分というところなのですが、
これまたタイミングが悪くそこまで行かないバスしかなくて、手前のバス停で降りて山道を50分。
それも、「最短コースの山道を突っ切って」の50分。
多分一般的な道で行くと1時間以上かかると思います。
その代わり、「最短コースの山道」ですから、急勾配の登りあり下りあり、です。
しかも、案内標識にしたがわない道なので、道中不安で仕方がありません(笑)。
だってねえ、まともな舗装道をそれて、こんな脇道に入るんですよ。
で、それを進むとこんな道に出ると来たもんだ。
…絶対ふだんは誰も通らないんだな(苦笑)。
綾部駅からはバスに乗ること40分、最寄のバス停からなら歩いて30分というところなのですが、
これまたタイミングが悪くそこまで行かないバスしかなくて、手前のバス停で降りて山道を50分。
それも、「最短コースの山道を突っ切って」の50分。
多分一般的な道で行くと1時間以上かかると思います。
その代わり、「最短コースの山道」ですから、急勾配の登りあり下りあり、です。
しかも、案内標識にしたがわない道なので、道中不安で仕方がありません(笑)。
だってねえ、まともな舗装道をそれて、こんな脇道に入るんですよ。
で、それを進むとこんな道に出ると来たもんだ。
…絶対ふだんは誰も通らないんだな(苦笑)。
舗装道に戻ると、こんな絶景。
まあそれでも舗装道に出たんだし…と思うと、またこんなのが登場してゲンナリします(笑)。
これを登るとまた踏み分け道で、しばらく行くと小さなお堂が。
いよいよか?と見ると、先にうっすら二王門が見えます!
まあそれでも舗装道に出たんだし…と思うと、またこんなのが登場してゲンナリします(笑)。
これを登るとまた踏み分け道で、しばらく行くと小さなお堂が。
いよいよか?と見ると、先にうっすら二王門が見えます!
というわけで、苦節5時間の末、ようやくお目当ての二王門とご対面~。
いやー、苦労した甲斐がありましたよ!素晴らしい門でした。
棟札の記載から、鎌倉時代の1242~53年(仁治3~建長5年)にかけて
再建されたものと判明しています。
この時代の山岳寺院の建造物が現存しているのは非常に貴重。
いやー、苦労した甲斐がありましたよ!素晴らしい門でした。
棟札の記載から、鎌倉時代の1242~53年(仁治3~建長5年)にかけて
再建されたものと判明しています。
この時代の山岳寺院の建造物が現存しているのは非常に貴重。
寺伝によると、君尾山光明寺は聖徳太子によって建てられ、役小角によって修験道の道場とされました。
この二人は古代寺院の創建伝承の黄金タッグですね(笑)。
で、醍醐寺の開祖である理源大師聖宝により、延喜年間に真言密教の道場として中興された、と。
最盛期には72坊を有したと伝えられていますが、戦国期に衰退しました。
この二人は古代寺院の創建伝承の黄金タッグですね(笑)。
で、醍醐寺の開祖である理源大師聖宝により、延喜年間に真言密教の道場として中興された、と。
最盛期には72坊を有したと伝えられていますが、戦国期に衰退しました。
さて、大規模を誇った山岳寺院だけあって、二王門から本堂に行くのも一苦労。
だってこんなんなんですよ。
二王門が小さく見えるぜ…。
で、本堂前にはこんな石段。
だってこんなんなんですよ。
二王門が小さく見えるぜ…。
で、本堂前にはこんな石段。
二枚前の写真でもわかると思いますが、かつては堂舎があったとおぼしい平地がちらほら。
行者堂の横にもこんなスペースが。
たぶん、ゆっくり見て回ったらもっといっぱい見つけられるんでしょうけどねー。
行者堂の横にもこんなスペースが。
たぶん、ゆっくり見て回ったらもっといっぱい見つけられるんでしょうけどねー。
えらい山の上なので、雪もたっぷり残っていました。
二王門の屋根が白く見えるのも、全部雪です。
本堂なんて横から見たらこんなんですからね。
ナイアガラ状態(笑)。
二王門の屋根が白く見えるのも、全部雪です。
本堂なんて横から見たらこんなんですからね。
ナイアガラ状態(笑)。
でも、それがまた良かったです。
木から積もっている雪がパラパラと降ってくるのが、とっても幻想的でした。
もうむちゃむちゃ感動しました。
苦労して登ったからというのもありましたけど、それを差し引いても、
今までいろいろなところに行った中で、感動の度合いは一番かも。
木から積もっている雪がパラパラと降ってくるのが、とっても幻想的でした。
もうむちゃむちゃ感動しました。
苦労して登ったからというのもありましたけど、それを差し引いても、
今までいろいろなところに行った中で、感動の度合いは一番かも。
まあ、下りは下りとて、また苦労したんですけどね。
とりあえず最寄のバス停まで出るかと思って、行きとは違う道を降りたんですが、
…またこれか。
というか、帰りの方が大変でした。
落ち葉が積もっている上に杉苔がいっぱい生えていて、それが雪解け水でぬかるんでる、と。
もうね、この上ない悪条件ですよ(笑)。
一番きつかったところは、写真を撮る余裕もありませんでした。
なんつーか、『もののけ姫』で主人公が駆け回る山の中をイメージすれば正解。
おまけに、バスのタイミングが合わなくて、さらに30分ほど歩いてもと来たバス停に出たんだよなー。
とりあえず最寄のバス停まで出るかと思って、行きとは違う道を降りたんですが、
…またこれか。
というか、帰りの方が大変でした。
落ち葉が積もっている上に杉苔がいっぱい生えていて、それが雪解け水でぬかるんでる、と。
もうね、この上ない悪条件ですよ(笑)。
一番きつかったところは、写真を撮る余裕もありませんでした。
なんつーか、『もののけ姫』で主人公が駆け回る山の中をイメージすれば正解。
おまけに、バスのタイミングが合わなくて、さらに30分ほど歩いてもと来たバス停に出たんだよなー。
…ついでに言うと、見学会のあった資料館がこれまた駅から離れていて(しかも山の上)、
25分ほど歩いたんですよね。
多分、合計で15kmは歩いてるはずです。
1週間に2度やることじゃないよな~。さすがに疲れましたです、はい。
25分ほど歩いたんですよね。
多分、合計で15kmは歩いてるはずです。
1週間に2度やることじゃないよな~。さすがに疲れましたです、はい。