史跡巡りの間(京都)

葛原親王屋敷伝承地。

娘を散歩に連れて出たら、娘の保育園の裏の公園に、こんな石碑が。 葛原親王は、桓武天皇の皇子で、桓武平氏の祖ですね。 塚の伝承地の石碑も、義理のおじの家の近くにあります。 まあ、あくまで伝承で、確たる根拠のある話ではないのですが。 家から山手に…

仁和寺周辺天皇陵巡り。

某所の講座で、月曜日に仁和寺について話さなければいけない関係で、今日は近辺の天皇陵を回ってきました。 もうちょっとゆっくり回れれば良かったのですが、3限に講義の振替が入っていた都合で、 立命館大学→一条天皇陵・堀河天皇陵→後朱雀天皇陵・後冷泉…

海住山寺。

南山城の名刹、海住山寺に行ってきました。 寺伝では、七三五年(天平七)に良弁が聖武天皇の勅願によって創建した藤尾山観音寺がその前身で、 一一三七年(保延三)に火災で焼失したのを、一二〇七年(承元元)に貞慶が再興し、 補陀落山海住山寺と改称した…

方丈石。

今年は鴨長明『方丈記』が書かれて800年。 いろいろなところで記念イベントをやっていますが、 それにあやかって?私も故地というか伝承地に行ってきました。 日野の山中にある、「方丈石」です。 地下鉄の石田駅の前の道をずーっとずーっとずーっとまっ…

北向見返天満宮。

前回の羽束師神社の続きです。 羽束師神社の南東にある摂社が、こちらの北向見返天満宮(きたむきみかえりてんまんぐう)。 もちろん祭神は菅原道真。 901年に菅原道真が大宰府に流罪となった際、羽束師神社に参拝し、 捨てられて 思ふおもいの しげるを…

羽束師神社。

締め切りを延ばしてもらっていた原稿を、ようやく、ようやく、よーうやく書き終えました。 あな嬉しや~。今回は苦労したなあ…。 他にも書かなくてはいけない原稿はあるのですが、 とりあえず先月の誕生日以来積み残しにしていた案件を先に片付けることに。 …

紅葉の京都。

今日は遠来のお友達とともに京都の紅葉をいろいろ見てきました。 だいたい紹介したことがあるところも多いので、写真をダイジェスト的に。 何しろ大雨だったので、下手をすると紅葉よりも雨だれにフォーカスされてたりしますが(苦笑)。 ・南禅寺 ・永観堂 …

法界寺。

先週末は「醍醐もちもちぃんウォーク」というイベントのお手伝いに行ってきました。 「もちもちぃん」というのは醍醐地域のイメージキャラクターで、 醍醐寺の五大力さん(五大力尊仁王会)の名物「餅上げ」に使われる 巨大な紅白の餅をモチーフにしてデザイ…

豊国廟(本編)。

今日は日本史研究会の例会(別名「大会3日目」)でした。 さすがに3日続けて学会&懇親会でへろへろで、今日は懇親会は出ずに帰ろうかと思ったのですが、 報告者が久しぶりにお会いする先輩で、やっぱり結局懇親会まで出てしまいました。 お元気そうで何よ…

半木神社。

京都府立植物園の中には、植物園の開園以前からある神社がひとつあります。 それがこの半木(なからぎ)神社。祭神は天太玉命です。 解説板によると、所在地の錦部郷が1018年(寛仁2)に賀茂社領とされたのを契機に勧請されたようで たしかに賀茂社領で…

文子天満宮。

話は先日の名人戦第六局に遡ります。 対局が行われていた渉成園の前まで行ってみた、というレポは先日書きましたが、 この界隈にもいろいろと史跡があります。 が、知っていても全然行ったことはなかったから行ってみた、ということで、以下がレポです。 ま…

待賢門院陵。

法金剛院の裏山は、願主である待賢門院の陵墓となっています。 日本史上、数奇な運命を辿った女性はいろいろいますが、 まあかなりの上位にランクされる方ではなかろうかと。 それもこれも、どちらかというと角田文衛大先生によるところが大きいのではなかろ…

法金剛院。

時系列としては、前回の妙心寺の続きです。 妙心寺から南西に10分ほど歩くとあるのが法金剛院。 法金剛院は1130年(大治五)に待賢門院が建てた寺院です。 もとは、837年(承和四)に清原夏野が死んだのち、彼の山荘が寺院とされたのが始まりで、 …

妙心寺。

東林院だけではなくて、本体の妙心寺の方もちゃんと見てきました。 とはいえ、子院ごとに管理主体や公開方法が別で、お寺の集合団地みたいな感じですが。 本体の主な建造物は、 ・三門 ・仏殿 ・法堂 といった感じです。 公開は時間制でガイドさんが付いて、…

東林院。

金曜日に東林院に行ってきました。 東林院は妙心寺の塔頭の一つで、普段は公開していないのですが、 沙羅双樹の季節は特別公開されるんですね。 いや、全然知らなかったんですけど、京にゃんこ&京ねずみさんのところで紹介されているのを見て、 そういや沙…

安国寺(綾部)。

えーっと、なんかレポの順番が散り散りバラバラになってますが、こないだの光明寺の続きです。 元はといえば、この日は古文書学会の見学会で、綾部市にある丹波国の安国寺の文書を見に行ったのでした。 文書の見学会自体は寄託先の綾部市資料館であったので…

光明寺二王門。

昨日は帰ってきたら疲れ果てて寝てしまい、今日は今日で研究会で報告が当たっていたので、 それを無事終えて、ようやくにして昨日の問題の回答編です。 で、昨日の写真は何かというと、綾部にある光明寺でした。 名前はまったくもってマイナーなお寺だと思い…

安楽寿院特別公開。

「昨日の今日」ならぬ「一昨日の今日」という感じですが、 今日はゼミの遠足で、安楽寿院の特別公開に行ってきました。 『京の冬の旅』で、非公開文化財の特別公開をやってるんですよね。 お目当ては御本尊の阿弥陀如来像(重要文化財)と、美福門院・八条院…

石清水八幡宮。

今日はたまたま隣町の八幡市に行く用事が出来たので、 ついでに石清水八幡宮へ初詣。 時間があれば歩いて登ったんですが、あまり余裕がなかったので八幡市駅からケーブルカーを利用。 小ぢんまりとしたケーブルカーで、乗車時間はおよそ3分といったところ。…

宝塔寺(鳥羽・伏見を歩く その5)。

このシリーズ、前回鳥羽周辺については書き終えたのですが、まだまだ続きが。 この日はちょうど伏見稲荷で「田植祭」というのをやっていて、それを見に行こうと思っていたんです。 なにしろ、今でこそ伏見稲荷=商売繁盛のイメージですが、 もともとは稲荷=…

白河天皇陵・鳥羽天皇陵・近衛天皇陵。

さて、旧鳥羽殿には、白河・鳥羽・近衛の3代の天皇の陵墓もあります。 ・白河天皇陵 場所は西行寺跡のすぐ南側。 本来は成菩提院三重塔が墓所でしたが、現在は失われています。 現在の御陵は一辺33mの正方形ですが、 発掘調査によると、もとは一辺56m…

城南宮・北向山不動院・西行寺跡(鳥羽・伏見を歩く その3)。

その他、旧鳥羽殿に関連する寺社をまとめてご紹介。 ・城南宮 創建については、平安京遷都の時に王城守護のため建てられた、 あるいは、城南寺の鎮守神として建てられた、など、諸説あるようです。 いずれにせよ、鳥羽殿が造営されてからはその鎮守とされ、 …

安楽寿院(鳥羽・伏見を歩く その2)。

引き続きまして、鳥羽殿域内の寺院について。 まずは安楽寿院から。 ・安楽寿院 1137(保延3)年、鳥羽院の御願によって鳥羽東殿に創建された御堂です。 2年後に建てられた本御塔は、のちに鳥羽院の墓所とされます。 その後、豊臣秀吉・秀頼によって再…

鳥羽殿跡(鳥羽・伏見を歩く その1)。

昨日は鳥羽の辺りを歩いてきました。 梅雨の晴れ間にと思ったら、暑いこと暑いこと…。 結果、またも日焼け。今回は会った人がビックリするくらい。 帰ってからお風呂で、こんな焼けたんか!って自分でもビックリしましたけどね(笑)。 腕の表側と裏側で色が…

灯台下暗し。

鎌倉期、公家の邸「泉殿」跡か 京大西部構内で発掘(京都新聞) 京都市左京区吉田泉殿町の京都大西部構内の発掘調査で、鎌倉時代の建物跡が10日までに見つかり、同大学文化財総合研究センターが発表した。鎌倉時代、親幕府派の公家として権勢を誇り、太政…

大将軍神社(東山三条)。

「日本女性の時代装束展」のおまけです。 先だって大将軍八神社を紹介しましたが、そのときにこんな風に書きました。 大将軍というのは陰陽道で金星を神格化したもので、 十二支にあわせて十二方位を順に一周するんですが、 大将軍の位置する方角は万事に付…

北野天満宮。

さて、今日は相国寺の後に行った北野天満宮を。 まあ学問の神様として世に名高い神社ですよね。説明不要かと(←書いててめんどくさくなった)。 梅の季節でもあるし、ひさびさに行ってみたくなったので。 もうかれこれ半月ほど前になりますが。 今年は寒いの…

相国寺(おまけ 墓地)。

相国寺の「おまけ」です。 「さ、次は北野天満宮」と思って、南の正門から出ようとしたら…。 ああ、案内板あるじゃん。どれどれ。 ……ん? 「藤原頼長墓!?」 頼長と言えば、教科書的には「保元の乱で負けて死んじゃった人」ですが、 院政期をやってる人間に…

相国寺(その1 瑞春院)。

もうおとついの話になりますが、相国寺に行って来ました。 もともと夜に京都市内で用事があって、じゃあ折角だし昼間は北野天満宮に梅を見に行くか、 じゃあ折角だしお昼は前から行きたかった同志社の近くの松乃家でカツ丼にしよう…と。 (※食べたのは大盛り…

雪の金閣!

ゆき~が~ふる~♪ ゆき~が~ふる~♪ ゆき~が~しろ~く~ふり~し~きる~♪ (『樹氷の街』) 今日も京都の北の方の大学で朝からお仕事でした。 8時半頃に京都駅に着いたんですが、その頃から雪がもう降るわ降るわ…。 あっという間に積もり始めました。 …