浜松の楽器とオートバイ。

今日はヤマハのお話。
「なぜ楽器が盛んなのでしょう?」とのsennhakuさんの一言がきっかけで、
浜松で楽器・オートバイ作りが盛んになった理由を調べてみました。
もちろん浜松は東海道の要衝にある古くからの城下町で、かつては徳川家康が本拠を置き、
江戸時代にも重要な土地として譜代大名が配置されました。
天保の改革を行った水野忠邦が、老中になりたくて、収入源になるにもかかわらず、
肥前唐津藩佐賀県唐津市)から浜松に配置換えを希望した、なんていうエピソードもあります。

で、現代では浜松はヤマハ企業城下町的な性格があり、楽器とオートバイが主要産業となっています。
もともと先行したのは楽器作り。
創業者の山葉寅楠さんは、小学校の備品のオルガンを修理したのがきっかけで、
1887年にオルガンの自製に成功します。
以後、ピアノ・ハーモニカetc.へと製作品を広げていって、
現在のヤマハ楽器にいたる、というわけです。

ところが。
日中戦争以後の産業統制によって、ヤマハの工場も軍需工場となり、
飛行機のプロペラなどの製造に当ることになります。
(これは裏づけを取っていない憶測ですが、多分浜松に陸軍の飛行場・陸軍飛行学校が
 あったことによるのでしょう。
 その後この飛行場は米軍に接収され、現在は航空自衛隊の基地になっています。)
1944年には楽器の製造もストップ。
で、戦後になって、こうした軍需産業を平和利用するためにはどうしたらいいだろう、
ということではじまったのが、オートバイ製造なわけです。
オートバイ部門は1955年に分離独立し、ヤマハ発動機として今に至っています。

こっから先は余談になりますが、ヤマハはバイクの世界選手権であるWGPで、
昨年世界チャンピョンとなりました。
天才ヴァレンティーノ・ロッシがホンダから移籍してくれたおかげです。
今年もロッシはここまで7戦6勝とぶっちぎり。
すごいもんです。それまではホンダの天下だったのになぁ。

んでもってついでに。
あまり目立ちませんでしたが、ヤマハは1989~97年の8年間、
F1にエンジンサプライヤーとして参戦しています。
初年度は鈴木亜久里が全戦予備予選落ちという苦難を味わいましたが、
最後の97年ではハンガリーGPで2位を獲得するなど、かなり良い感じに仕上がっていました。
それだけに、ほとんど詐欺のような形で翌年に撤退する羽目になったのが悔やまれます。
その技術は、ほとんど現在のトヨタに受け継がれているんだとかなんとか…。