1人ではできないこと。

「結婚は1人ではできない」とはよく言われるセリフですが(たまに僕も言います 笑)、
離婚も1人ではできません。
両者の違いは何かと言われれば、結婚はスタートであり手段であるが、
離婚はゴールであり目的である、ということでしょう。

で、何の話題かというと、いわゆる「離婚後300日規定」のお話です。
母親の賠償請求を棄却=市の出生届不受理-離婚後300日規定訴訟・岡山地裁時事通信
 離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子と推定する民法の規定により、市が出生届を不受理としたのは違憲などとして、岡山県の女性が子を原告として国と同県総社市に330万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、岡山地裁(古賀輝郎裁判長)は14日、請求を棄却した。
 訴状によると、女性は前夫から暴力を受け2006年から別居した。08年3月に裁判で離婚が成立する前、現在の夫との子を妊娠し、同11月に女児を出産。総社市は同月、民法の規定を理由に、現夫の子として出した出生届を受理しなかった。
 原告側によると、提訴後に現夫との親子関係を確認する裁判所の認知調停が成立。同市は出生届を受理し、女児は戸籍を取得した。
 市が当初不受理とした点について、原告側は「離婚訴訟で裁判所が前夫との長期間別居と夫婦関係の形骸(けいがい)化を認定すれば、現夫の子として受理すべきだ」と訴えていた。 
まあ具体例はこの際あまり関係ないのですが、少し補足しておくと、
この女性が賠償請求をした理由はおそらく賠償そのものが目的ではなく、
「賠償請求をしないと訴訟そのものが起こせないから」でしょうね。
というのは、日本の裁判所による違憲立法審査はそれ自体を目的に訴訟を起こすことができないので、
現在では出生届が受理されてしまっている以上、民法の規定の違憲性を問うためには
損害賠償請求の形で訴訟を起こさなくてはいけないはずだからです。

で、他の新聞社による報道もあるのに時事通信の記事を引用したのには理由があって、
Yahoo!ニュースの時事通信の記事にはコメントがつけられるのですが、
(ぶっちゃけ、「無意味だよなー、これ」とつねづね思っているのですがね)
今回取り上げたいのは、どちらかというとこういうコメントに書かれている内容についてなのです。
具体的にはこちら→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100114-00000102-jij-soci
で、上から4番目、「これって思い切り金目当てみたいじゃん。」に対する回答が、上の補足です。
新聞社はこの程度の補足は記事に付けとけよ…とは思いますけどね。
そらこの記事だけ見りゃ金目当てに見えてもしゃーないわな、と思いますし。

で、本題はもっと上の方のコメントで、
「離婚が成立してない間に子供を作った自分の非は無視できるんですね?」
とか
「離婚が成立する前に,別の男性の子供を身ごもった上に,
 民法の規定をまげてまで出生届を受理させようとし,
 あげくに不受理を違憲として訴えるなど正気の沙汰ではない。」
とか、まあそういう意見に関するお話。

まず議論の前提として、どの程度の数かはわかりませんが、
「離婚の必要に迫られている人たち」というのは、確かに存在します。
そして、特にDV被害者などの場合、加害者側が離婚を受け入れないということはまま生じますし、
そうすれば離婚成立までの手続きが長期化することは必然です。
また、特に女性の場合、出産を望むのであれば早いに越したことはないのも、医学上の常識です。

ここで第一に考えなければいけないのは、「そういう人たちをいかに救済するか」であるはずです。
社会制度としての結婚というものに僕は個人的な意見をそれなりに持っていますが、
この問題はそういうものとは別の論理で答えを出す必要がある、ということです。
現に必要に迫られて離婚している人たちに、社会における結婚制度の重要性だの、
倫理上の問題だの、だったらなんで結婚したんだと問うだの、
そういう一般論を提示しても無益なことです。
というか、別に結婚という社会システムそのものに対する異議申し立てではなく、
そこからはみ出したがために著しい不利益を被る人が出ないように手直ししましょう、
というだけの話だと思うのですが。

いちばん解せないのは、自分が当事者なわけでもなく、それによって自分が不利益を被るわけでもないのに、
結婚制度・家族制度の維持という「大義」を振りかざして反対する人たちのことです。
はっきり言ってしまえば、離婚後300日以内、あるいは離婚成立以前に、
配偶者以外の人との間に出産を行う人の数なんて、比率としては微々たるものです。
その極少例を救済したことで崩壊するシステムというのは、
むしろ他の要因で崩壊しているのだと思うのですが。

さらに言えば、こうした人たちは、むしろごく少数であるからこそ救済されないのです。
なぜなら、ごく少数であるということは、多数の人にとっては関わりのないことだからです。
それはたとえば、ワーキング・プアの問題などについても言えることですが。
なんだかんだで、現在でも正社員として働いている人のほうが多数派で、
そしてしばしば、「正社員として働こうと思えば働けるはずだ」という「正論」が登場します。
それは確かにそういう人もいるでしょう。
ですが一方で、各業種で非正規雇用の比率が増え、業務の内容は正社員と変わらず、
保険も年金も賞与も付かず、そもそも更新されるかどうかもわからない、
という人たちだって、確かにいるわけです。

どんな社会であれ、小数派の存在しない社会というのはありえませんし、
少数派というものは何がしかの不利をある程度は被ってしまうものではあります。
ですが、社会としてなるべくそういったマイノリティの不利益を減らしていくことはできるはずです。
そのために必要なのは、
「自分が当事者となった場合にそれを受忍できるか」
「とにかく今困っている人を救済するには何が必要か」
という二つの発想なのだと、僕は思うのですが。