ルールの適用範囲。

朝青龍はしばしば勝ったときに見せるガッツポーズが批判の対象になりましたが、
何もこの手の話題は相撲だけに限りません。
本来は柔道だって、ガッツポーズは禁止です。
敗者に対する失礼に当たるからで、そのことは高校の柔道の授業で最初に教わりました。
にもかかわらず、近年は普通に勝者がガッツポーズをする姿が柔道でも見られます。
ガッツポーズに限らず、たとえば柔道着は本来白一色であるべきですが、
誤審を生みにくくするためにカラー柔道着が導入されたのは、個人の枠を超えた競技全体の動きです。

で、ここで言いたいのは、「それではいけない」ということではありません。
「『それではいけない』と言いたいのなら、スポーツとして一般に普及させるべきではない」ということです。

そもそも、礼式というものは大なり小なり人工的で不自然なものです。
だってそうですよね、自然のままの感情に+αすることで、相手への礼を示すことになるわけですから。
そういう人工物を共有するためには、それ相応の文化的共通基盤と教育と訓練が必要になります。
同じ日本人でも完全に共有しえるわけではないのに、まして異文化で育った外国人に対して、
礼儀作法というものがあまねく共有しえるわけがないですよね。
もちろん、個人として共有しえる人はいると思いますよ。
ただ、それをすべての人に貫徹しえるわけではないし、
文化的なバックグラウンドが異質な人が増えれば増えるほど、共有し得ない人は増えるでしょう。

もしも相撲協会なり横綱審議委員会横綱の権威を大事だと言い、礼儀作法をが大事だと言うのなら、
(※あくまで礼儀や行動規範のレベルの話で、犯罪行為はまた別ですよ)
そもそも最初から国際化など目指さなければいいし、横綱昇進の基準も勝ち数などにしなければ良いのです。
「門戸は狭く、その代わり同質性は高い」というあり方の武道なり武術なりだって、存在するのですから。
あまねく門戸を開いておいて、スポーツのように興行や競技会を行ったりしておいて、
礼儀作法を共有できない相手を異分子として叩くのは、道理に合わないと思うのです。

ま、感情レベルでいえば、そういう同質性を要求するのもされるのも性に合わんということもありますけど…。