ジョージ・オーウェル『一九八四年』(古びるもの・古びないもの 下)。

「上」の方を書いてからちょっと間があいてしまいましたが、
むしろ、この忙しい中に何で毎日更新してるんだか…って感じですかね。

(以下、一部ネタバレがあります。ご注意下さい。)

今回取り上げるのはジョージ・オーウェル『一九八四年』です。
村上春樹の『1Q84』に触発されてこれを読むというのは、なかなかに俗っぽい行動パターン(笑)。
存在自体はずいぶん昔から知ってたんですけどね。
高校生の時に小松左京の『首都消失』を読んでいたら、たびたび登場するんですよ。
ホテル内の一室から会議場の様子がテレビモニターで見られるということを知った主要キャラの一人が、
曰く「まるでジョージ・オーウェルの『一九八四年』のラブホテルのようだ」と。
(※『一九八四年』にラブホテルは登場しません…一応。
 あれは「ラブホテル的用途で使用される」ってだけだよな~ 笑)。

さて、「古びるもの・古びないもの」とサブタイトルをつけて、
前回は「古びるもの」を紹介したので、今回はもちろん「古びないもの」のご紹介ということになります。
『一九八四年』は1948年に書かれたので、実に62年前の作品です。
執筆から半世紀以上を経ているのに、この古びなさはなんだろう…と思ったので、
こんなサブタイトルをつけたのでした。
いやー、実に面白かったです。

あらすじはこんな感じ。
1984年、世界がオセアニア・ユーラシア・イースタシアの3大国に分割され、
慢性的戦争状態が続いていた。
オセアニアは、指導者ビッグ・ブラザー率いる真理党による一党独裁支配が行われ、
イングソック(イングランド社会主義)にもとづいて統治される、全体主義国家。
真理省記録局に勤務するしがない中年ウィンストン・スミスは、歴史の改竄に従事していた。
スミスはかねてから現体制に疑念を抱いていたが、
ある日、奔放な美女ジュリアと恋に落ちたことをきっかけに、反政府地下運動に魅かれるようになり…。
とまあ、ジャンル的には近未来SF小説ということになります。
この手の小説は、リアルタイムに読んで面白くても、
経年劣化してとても読めなくなるということもよくあるのですが、
先述したとおり、この作品は幸運な例外に属します。
その理由はおそらく、この作品がテクノロジーや未来像を描くことを目的としたのではなく、
人間や社会を描くことを目的とし、その最適な舞台が近未来だったに過ぎないからでしょう。
作中で描かれる全体主義体制のリアリティ、体制下における個人の心理の生々しさには驚かされます。
その想像力や構成力(「設定フェチ」にはたまらん作品でしょう 笑)、文章力は本当に素晴らしい。
(訳書でしか読んでませんけど、これは原書もさぞかしクリアな文体で書かれてるんだろうなー。)

厳密にいうと、これは「反共産主義の書」ではなく「反全体主義の書」だと思うのですが、
プロレタリアート独裁を謳う共産主義はおのずと全体主義的にならざるを得ないと思うので、
まあ似たようなもんですか。ナチ党にしたって「国家社会主義ドイツ労働者党」だもんなー。
もっとも、管理社会の恐ろしさとか、画一化圧力の暴力性なんかは、
現代社会でも(つまり、自由主義国家体制下でも)十分親近性の見られる事象だと思います。

そして、個人的に読み終えたときに何より心に残ったのは、「自己目的化した権力の恐ろしさ」でした。
権力なんてものは人間が2人以上寄り集まればあまねく存在するものなわけで、
結局のところ、国家レベルだろうが集団レベルだろうが、
大事なのは「権力が何のためにどのような形で発動されるのか」なのだろう、と。
このところ、大切なのは「何のために」をつねに問い続けることなのだと考えていたのですが
(これもそのうち書いてみたいと思ってます)、その思いを強くしました。

「歴史の改竄」についても、実に面白かったです。
が、これも書き始めると長くなりそうなので、別の機会に。

ま、とにかく一度読んでみて下さいって。おススメです!