怒る技術。

このところどうにも忙しくて、今日もやらなくてはいけない事はあったのですが、
なんだかぐったり過ごしてしまいました。
うーむ、自分で思ってた以上に疲れてたんだなあ。

さてさて、以下は水曜日の講読の授業での出来事です。
開始時間の4分前にメールが来まして、「直前で非常に申し訳ございません。今日は熱で出席できません。」と。
「はあ!?お前さすがにそれはないだろう!!」と思ったのですが、
返信しようにも、ケータイのメールを余り速く打てない上に、メールに名前が書かれていないのに気付いて、
「まあ名前書くのも忘れるくらいテンパってたのかねえ…」と思ってしまい、なんだか気がそげてしまいました。

そんなわけで、授業のはじめに苦笑しながら「これこれで…」と学生に向って説明して、
「さすがにブチ切れようかと思ったんですけど、メールに名前も書いてないのに気いついて、
名前書くのも忘れるくらいテンパってたのかねえと思ったんで、まあやめときます。」
と言ったら、学生から「えー、先生どんだけ優しいん!」どよめきが(笑)。
いやしかし、君らに怒ったってしょうがないだろう。まあたいていの先生は怒るだろうけど(笑)。

もちろん、授業が終わってから、その学生にメールで注意はしました。
事情はわかるけど、連絡が開始4分前&連絡のメールに名前を書かないというのは、
大学でも許されないし、実社会ではなおさらそうだよ、と。

結局のところ、怒るのって好きじゃないんですよね。教育効果も薄いと思うし。
そう思うようになったのはせいぜいここ10年程度のことで、
昔は普段からかなり沸点が低い人間だったのですが、思うところがあって宗旨替えしたんです。
いつともなく、「自己制御って大事なことだよなあ」と思うようになったので。
精神的にアップダウンが激しいと、きっと周りの人もしんどいでしょうしね。

何かしら教える立場に立っている時に怒らなくなった直接的なきっかけは、
塩野七生さんの『ローマ人の物語』で、カエサルが問題を起こした部下達に対して怒るのではなく叱った、
というエピソードに、なるほどなと思ったからです。
別に自分がカエサルになれると思っているわけではもちろんありませんけど、
自分でもやれそうな良いところを真似しない手もありませんから。

一般論として言うなら、怒る、つまり相手に感情をぶつけるというのは、あまり推奨できません。
ただ難しいのは、世の中には、怒った方が良い場面・怒るべき場面というのものがあることです。
怒っているのだと伝えることで相手の注意をこちらに向けるというか、
要するに怒りというインパクトが必要とされるということですね。
特に子どもを相手にしている場合に、そういうことは良くあります。

そんなときに必要なのは、怒ったフリをするテクニックです。
教える側に立つ人間にとって、実はこれが一番高等な技術なんですよねー。
僕はこれがまだどうしてもできません。怒りを演じることが恥かしく思えてしまって。
結局のところ、まだまだ「素の自分」で教壇に立ってるんですよね。
ベテランの先生方が「怒ってるフリをするのも結構しんどいんだけどねー」とか、
「やってるうちにうっかり笑いそうになってまうねんけどな」と笑っておっしゃっているのを聞くと、
自分はまだまだだなあ、と思います。
自分のキャラではないのでなかなか難しいですが、いつかはそんな風にできる人間になりたいものです。

本当のところ、これって生きていく上で一番大切なテクニックだと思わないでもありません。
怒るべき時に怒ったフリができる人というのは、本当に賢い人なのだと思っています。