行為自体をどう評価できるか?

ケイパーニックの両親、タトゥーへの批判に反論(NFL JAPAN
 サンフランシスコ・49ersクォーターバック(QB)コリン・ケイパーニックは、過去2試合連続で先発出場しチームを勝利に導いている。この活躍で大きな注目を集めているケイパーニックが、プレイとは関係ない部分で批判を受けた。
それは『AOLファンハウス』と『スポーティングニュース』に掲載されたデビッド・ウィットリー氏のコラムにて。同氏は、NFLのQBは社会の道徳観を守る最後の砦だった。子供たちがタトゥーをしたいと言った時、ペイトンとイーライのマニング兄弟について親たちは言及すればよかったと、両腕に大きなタトゥーを入れているケイパーニックに批判的に文章を書いている。
そしてこのコラムをケイパーニックの両親が的外れなものと反論している。母親のテレサさんは、『USA Today』紙の取材に「私を苛つかせるものだわ。タトゥーによって人を判断する。タトゥーをしていないから、他の選手たちはロールモデルなの?こういう人の定義の仕方は、とても怒らせるものだわ」と述べている。また、父のリックさんは、「この記事を書いた人物は、コリンと話したことがないだろうね」と続けている。
実際、ケイパーニックは高校時代の成績は優秀で、一度も素行面で問題を起こしたことはない優等生だ。彼のタトゥーは聖書の数節を入れたものであり、NFL.comのグレッグ・ローゼンタール氏は、タトゥーの件を問題視すること自体が馬鹿げていると主張している。

「文化的背景と切り離された行為というものが成り立ちえるか」というのは、なかなか難しい問題ですね。
もちろん、そもそも日本の刺青とアメリカのタトゥーとでは、
外形的には同じ行為でも文化的・社会的背景は大きく違いますし、
また、日本人にとっての仏教etc.と、アメリカ人にとってのキリスト教も、位置付けが全く違うわけですけれど、
でも、たとえば大阪市職員の問題で、観音様の刺青を背中に彫った人が
「信仰上の理由で彫った刺青を理由に職務上の不利益を被るのは信教の自由の侵害である」
と主張した場合、それを認めないのはなかなか難しそうな気もするしなあ。
ふうむ。