先達のお話。

今日の毎日新聞の夕刊に面白い記事が出ていたのでご紹介です。
特集ワイド:韓流ブーム続く中、朝鮮語学者の嘆き--元大阪外大教授・塚本勲さん
◇辞書もない時代に在日社会に分け入り、死にものぐるいで研究
◇北も南もわけわからん 竹島でぎゃーぎゃー言うし、いつまでも謝れ謝れやし
http://mainichi.jp/feature/news/20130128dde012040002000c.html
http://mainichi.jp/feature/news/20130128dde012040002000c2.html
http://mainichi.jp/feature/news/20130128dde012040002000c3.html

長文なので、全文は上記サイトで読んでみてください。
一部分だけ抜粋して紹介しておきます。
 パソコンのない頃、私たち学生はハサミとノリを手に朝鮮語の用例を書き込んだ原稿を切っては張り、切っては張り、気の遠くなる作業を手伝った。しばしば先生は講義をすっぽかす。心配して自宅をのぞくと、カップ酒をあおっている。そばに種田山頭火の句集が転がっていた。延べ300人、23年の歳月をかけた22万語収録の「朝鮮語大辞典」(角川書店)が世に出たのは86年だった。♪芸のためなら女房も泣かす……、まるで桂春団治の世界でしたね、と水を向けると、先生、苦笑い。「青春のすべてだった。でも、すぐ韓国で海賊版が出回って、また悔しい思いをした」
※注 聞き手は塚本氏の教え子です。
モンゴル語学科の卒業である司馬遼太郎さんについても懐かしむ。異国の地、薩摩で400年を生き抜いた朝鮮人陶工の一族を描いた小説「故郷忘(ぼう)じがたく候」。「司馬さんから電話をもらいました。<血は水よりも濃い>は朝鮮語でどう言うんや、と。直訳もありますが、<サラムン チエ ピッチュルル タルンダ(人は自分の血すじに従う)>という表現もあります、とお教えしたら、それ、おもろい、となって。小説に出てきます」
一つ目のエピソード、こういう破天荒な先生って、今の大学ではとてもじゃないけど許されませんよねー。
それが良いとは必ずしも思いませんけど、
今の管理された大学教育からは管理された成果しか出ないだろうなあとは思います。
良くも悪くも「生産管理された商品としての教育」であり、言い換えれば「教育の均質化」。

それはともかく、戦前・戦中の生まれの方のお話は、やはりいろいろと貴重で興味深いです。
塚本氏は78歳とまだまだお若いですが、いろいろな聞き取りや覚書といったものは、
まだお元気でいらっしゃる今の間にうかがっておかないといけないのでしょうね。
ジャンルを問わず。