清凉寺・広隆寺などなど。

昨日は学会の開催日程を完全に一週間勘違いして、朝から大学に行ってしまいました。
自分でわざわざ記事にしておいてこういうことやらかすかな~(苦笑)。

とはいえ、そこから気を取り直して、まずはバス→嵐電京福電鉄)を乗り継いで嵐山へ。
お目当ては清凉寺
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本尊の釈迦如来像は、奝然が永延元(987)年に宋から持ち帰ったもので、
「三国伝来の釈迦如来」として知られています。
体内に内臓を形どった納入物が収められていたことでも有名。
もちろん堂内撮影禁止なので、写真はコチラでどうぞ。
てゆーか、清凉寺って実は公式HPがないのか…?

もともとこの地には左大臣源融嵯峨天皇の皇子・光源氏のモデルとされる)の別荘・栖霞観があり、
それが源融の死後に寺院とされて栖霞寺となりました。
さらにその後、奝然の弟子が遺志を継いで、敷地内に建てたのが清凉寺
庇を貸して母屋を取られたような格好です(笑)。

あと、清凉寺には一切経(経典を集成したもの)を収めた一切経蔵がありまして。
この回転式書架を一回りさせると、一切経を一度読んだだけの功徳になるとされているんですが、
清凉寺ではなんと1回100円で実際に回せます。もちろん回してきました。
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で、他の嵐山の寺院には目もくれず(他は回ったことがあるし)、
再び嵐電に乗って、目指すは車折神社
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祭神は清原頼業院政期の学者・実務官僚で、学問と契約遵守の神様とされています。
車折」は「くるまざき」と読んで、後嵯峨天皇大堰川に御幸した際、
社前で牛車の轅が折れたので、「車折大明神」の神号と「正一位」を贈ったことによります。
公式HPはコチラ富岡鉄斎ってここの宮司だったのか…知らんかった。

ちなみに、おみくじ引いたら、やっぱりというかなんというか「凶」でした。最近多いな~。
大原三千院に引き続き今年2度目です。)
ま、いいんだけどさ。

で、さらに嵐電に乗り継いで(一日乗車券は500円)、広隆寺へ。
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もちろんお目当ては弥勒菩薩半跏思惟像。
初めて見ましたが、結構ちっちゃいんですね~(像高123.3cm)。
新霊宝殿にはかなりの数の仏像がずらりと並んでいて壮観です。

広隆寺の由緒は、秦河勝聖徳太子から仏像を譲り受け建てた蜂岡寺がその始まりと考えられています。
(蜂岡寺の当初の位置は北野廃寺跡とする説が有力)
近辺には秦氏関連の社寺や遺跡が散在しています。
例えば広隆寺のすぐ東にある大酒神社。
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あるいは、もっと東に行った蚕ノ社木嶋坐天照御魂神社)。
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境内内の元糺の池にある、鳥居を正三角形に組合せた三鳥居(由緒は不明らしいです)。
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この辺の話については、京都市歴史資料館のサイトが非常に詳しくておススメです。
「牛祭り」もいっぺん見てみたいんですけどね~。

で、最後はまた嵐電四条大宮に出て、壬生の八木家住宅へ。
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言うまでもないとは思いますがもと新撰組屯所ですね。
芹澤鴨の暗殺の際に刀傷がついた梁なんかが見られます。
で、見学の他に八木家が営む「鶴屋」でお抹茶と和菓子がいただけるのですが…。
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うーん、でもそれでも見学料1000円はどうだろう。
いや、わかるんですよ、指定文化財だって訳でもないし、
宗教施設と違って税金もかかるし、お布施やお賽銭もないし、信者組織もないし…。
とはいえ、ねえ。

で、壬生寺にはかもかものお墓なんかもあります。
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行ってみてはじめて知ったんですが、実は小槻氏(官務壬生家)のお墓もあるんですね。
壬生狂言が行われることでも知られています。そういえばもうすぐですね(期間はGW)。
知り合いがやってるのに、これも一度も行ったことがないな~。

というわけなのですが、実はこれらの場所、今まで一度も行ったことがなかったのでした。
「住んでるとかえってなかなか行かないよね~」…と、いうことにしておいて下さい。
よーするに、講義のネタにするつもりなんですけどね。