鮫ケ尾城のおにぎり。

戦国時代の炭化おにぎり出土毎日新聞
戦国時代の武将、上杉謙信の後継者争い「御館(おたて)の乱」(1578~79)の舞台となった新潟県妙高市宮内の県指定文化財「鮫ケ尾(さめがお)城跡」で、炭化した米のかたまりが出土し、国立歴史民俗博物館の分析で「おにぎり」であることがわかった。

 上杉家に伝わる古文書などでは、鮫ケ尾城は火で焼け落ちたとされているが、同市教委によると戦火に遭ったことを裏付ける史料が出土したのは発掘調査で初めて。26日から長岡市の県立博物館で展示される。

 出土したおにぎりは4点で、直径5~9センチ、重さ30~68グラム。06年6月に同市北部の鮫ケ尾城跡の通称「三の丸」(標高167メートル)から、焼けた陶磁器などと一緒に出土した。表面のどろを洗い流したところ、炭化した米のかたまりと判明。07年3月に国立歴史民俗博物館に分析を依頼した。

 その結果、断面の様子や表面の様子から、白米だけでできており、米のねばりによって粒同士が密着▽表面には手でにぎったような曲面がある▽布やササのような植物の葉の上に置かれた跡も見つかった--として、おにぎりと特定した。

 同市教委の年代測定によると、おにぎりは1420~1620年との結果だった。乱の際、同城に火が放たれたとする文書が残っており、乱の後は廃城になっていることから、戦火によって兵糧のおにぎりが炭化し、そのまま土の中に埋まったとみられる。

 御館の乱は、1578年に謙信が死去すると、2人の養子のうち姉の子景勝と北条氏から迎えた景虎のどちらを後継とするかで、家臣団が分裂。一時は上杉氏と北条氏との対決にまで拡大したが、翌79年に敗走した景虎が鮫ケ尾城にこもって自害し終結した。

 分析を行った同博物館の住田雅和研究員は「炭化した米のかたまりが出土する例はあるが、おにぎりと特定できるほど保存状態が良いのは珍しい」と語った。【萩原滋樹】
戦国時代のおにぎり出土 上杉謙信の家督争い跡の遺跡で朝日新聞
落城の炎 おにぎり焼く 鮫ケ尾城跡で出土(読売新聞)
戦国時代のおにぎり出土、新潟・妙高の鮫ケ尾城跡日本経済新聞

鮫ヶ尾城かあ…。
炎の蜃気楼』ファンとしては、ちょっと遠い目になります(笑)。
まあ、邂逅編の方はほとんど読んでないんですけどね。

それはそれとして、新潟県には一度行ってみたくはあります。
スキーでしか行ったことがないので。
弥彦神社に行きたいなー。あと、春日山城佐渡金山は、個人的にはそうでもないです。