吉田神社節分祭(その1)。

うまい具合に大学に行く用事があったので、今年も吉田神社の節分祭に行ってきました。
京都で節分祭といえば吉田神社吉田神社といえば節分祭。
(お祭りについてはコチラをどうぞ)
うちの大学には「吉田神社の節分祭に行くと単位を落とす」というジンクスがありますが、
幸いなことにもう学生ではありませんし。論文が締切に間に合わないと困りますが(笑)。

今年も参道では鬼さん&山伏さんが大活躍でした。
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子供さんが握手してもらったり頭をなでてもらったりしてるんですが、鬼ってそういうもんだっけ~?
で、最後には豆まいて追っ払うんでしょ(苦笑)。

さて、もちろん吉田神社には本宮があるわけですが。
・本宮
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どっちかというと、コチラの方が有名になっているような気が。
・斎場所大元宮
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天神地祇八百万神をまとめておまつりするという豪快な神社です。
えーっと、たしか祭礼の時と毎月一日に開扉されるんだっけ(違ってたらすいません)。
もともとは吉田家の邸内にあったものを、吉田兼倶が1484(文明16)年にこの地に移し、
吉田神道の根元殿堂としました。

大元宮の後方には内宮・外宮が配され、さらに全国の延喜式内社が周囲に配されています。
こんな感じ。
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で、他にも吉田神社にはなかなか面白い末社がありまして。
・山蔭神社
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春日大社から吉田神社を勧請した藤原山蔭を祭った神社です。
藤原山蔭光孝天皇の命により料理作法を制定したとされている人物で、
そんなわけで山蔭は「料理の神様」(文字通りの意味で)として尊崇されている、というわけ。

さて、この山蔭神社のお向かいには京都の老舗の蕎麦屋である河道屋さんが、
仮設のテントを建てて年越しそばを販売しています。
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「年越し?」と思われるかもしれませんが、今って旧暦だと年末なんですよね。
節分のもとになった「追儺」は、そもそもが年越しの行事です。
というわけで、年越しそばをいただいてきました。
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今日みたいに寒い日には特に美味しい♪

・菓祖神社
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山蔭神社が料理の神様なら、菓祖神社はお菓子の神様。
おまつりしているのは田道間守命・林浄因命。
田道間守は、垂仁天皇の命令で非時香菓(柑橘)を求めて常世の国に渡り、
やっとのことで帰ってきたら垂仁天皇はもう亡くなっていた、というちょっとかわいそうな人です。
もともとは豊岡の中嶋神社や海南の橘本神社などにまつられていて、昭和32年に勧請したんだそうです。
で、林浄因は宋から貞和5(1341)年に来日し、漢国神社(奈良市)社頭に住居して、
日本で初めて餡の入った饅頭を作ったとされている人物です。

こちらでは豆茶のお振る舞いが。
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お菓子は「寸志」をお出ししてからいただきます。