『国性爺合戦』@国立文楽劇場。

初春文楽公演 第1部『国性爺合戦』@国立文楽劇場 1月22日

平戸浜伝いより唐土船の段
 和藤内:豊竹松香大
 小むつ:竹本三輪大夫
 老一官:竹本津国大夫
 一官妻:豊竹始大夫
 栴檀皇女:豊竹睦大夫
 三味線:鶴澤清介・竹澤団吾・鶴澤清志郎・豊澤龍爾・鶴澤清公
千里が竹虎狩りの段
 和藤内:豊竹英大夫
 一官妻:竹本文字久大夫
 安大人:竹本南都大夫
 老一官:竹本文字栄大夫
 勢子:豊竹希大夫
 勢子:豊竹靖大夫
 三味線:竹澤団七 ツレ:鶴澤清丈・鶴澤寛太郎
楼門の段
 豊竹咲大夫
 三味線:鶴澤燕三
甘輝館の段
 切:竹本綱大夫
 三味線:鶴澤清二郎
紅流しより獅子が城の段
 豊竹英大夫
 三味線:鶴澤清友
人形遣い
 和藤内:桐竹勘十郎
 女房小むつ:吉田清三郎
 栴檀皇女:桐竹紋臣
 鄭芝龍老一官:吉田玉也
 老一官妻:桐竹紋豊
 安大人:吉田一輔
 錦祥女:吉田文雀
 五常軍甘輝:吉田玉女
 勢子:大ぜい
 軍兵:大ぜい
 腰元:大ぜい


もう一月前の話になりますが、国立文楽劇場に行ったお目当ては『国性爺合戦』でした。
和藤内=鄭成功を主人公とする、1715(正徳5)年初演の近松門左衛門作品です。
自分の講義の中でちょっと取り上げたんですけど、実物を生で見たことはなかったんですよね。
「見てきたようなことはなるべく言いたくない」というのが個人的趣味なので、
折角の機会だし日程が合えばぜひ見てやろうと。

当時の日本は鎖国の真っ最中なんですが(清との貿易は長崎で行われています)、
その状況で中国の歴史を題材にした作品が大ヒットする(17ヶ月のロングラン公演)
というのはなかなか面白いなあと思うんですよね。
こうした素材が受け容れられた背景には、きっと主人公の鄭成功が日中のハーフであることと、
鎖国下における異国情趣が歓迎されたという面があるんでしょうけど。
個人的に気になるのは、見る側が鄭成功が’悲劇のヒーロー’であることをわかった上で、
結末の改変を受け容れたのかな?というところでしょうか。

鄭成功は明朝復興を果たせず、台湾をオランダから奪った直後に39歳で急死します。
 が、『国性爺合戦』では和藤内は見事に韃靼王を捕らえることに成功。
 しかも、これに協力する呉三桂は、実際には清を引き入れた張本人。
 ま、この辺の史実の話はいずれ別記事で…。

さて、今回は全話通しで上演してくれるのかなと思って見に行ったんですが、
実際には全五段のうちの第二段・三段だったようです。
それでも11時開演、14時40分終演(休憩40分)。
2/5で上演時間3時間…やっぱ通しだと一日仕事ですねー。
これも一種のスローライフ

内容は…うーん。
「平戸浜伝いより唐土船の段」と「千里が竹虎狩りの段」はいいんです。
前者は平戸に流れ着いた栴檀皇女を助け、明朝復興のため中国に渡ることを決意する話。
後者は着ぐるみトラが舞台を所狭しと暴れまわります(笑)。
(人形が人の1/2ぐらいのスケールなので、等身大は「大トラ」という設定)
伊勢神宮のお札を貼るとトラがおとなしくなる」とか、
「和藤内が清軍の漢民族兵をトラで脅して部下にする」とか、
よく言えば痛快というか、ツッコミどころ満載のお話です。

問題は、楼門の段・甘輝館の段・紅流しより獅子が城の段。
この三段でワンセットで、清に仕えていた猛将甘輝が、和藤内の片腕となるまでを描いています。
甘輝は史実でも鄭成功の忠実な片腕だった人物です。
で、大枠としては「めでたしめでたし」なんですけど…。

(以下、場面説明)
まず前提として、甘輝の妻である錦祥女は、鄭芝龍老一官と前妻の娘で、
老一官夫妻が日本に亡命する前に生き別れになっていた、という設定なんです。
で、甘輝は老一官妻(後妻)から説得され、和藤内に味方することを承知するんですが、
「妻の縁に引かれて寝返ったと言われるのは末代までの恥」と、錦祥女をその場で刺し殺そうとします。
錦祥女もそれを「親孝行」として受け容れようとするんですが、
今度は老一官妻が「唐土の義理の娘が夫の手にかかるのを見殺しにしては、わが身ばかりか日本の恥」
として押し止める。
ということで、結局いったん破談に。

さて、「不首尾の場合は遣り水に紅を流す」と打ち合わせ、城外で首尾を待っていた和藤内は、
紅が流れてきたのを見て、怒りに燃えて甘輝とあわや一騎打ち…
のところへ、止めに入った錦祥女が胸元を開けると、懐剣が胸に突き刺さっている。
流れいてきた紅は錦祥女の血だったわけで、妻の死に心打たれた甘輝は和藤内に味方し、
「延平王国性爺鄭成功」と名乗らせます。
娘の義に感じた母も、娘の懐剣を喉に突き立て自害し、二人の門出を励ます。
二人の勇士は、涙の中に大明国再興の戦いを誓うのでありました。
(ここまで)
めでたしめでたし。

…めでたいか?
まあ、古典芸能を見るときに、この辺の行動原理について
現代的発想を当てはめちゃダメなんだって言うのは百も承知なんですが、
だからってなあ、なんかなあ~。
どうもそういうのを受け付けないあたりが、
あまり個人的に日本の古典芸能に積極的になれない理由かもしれません。
他にも、和藤内くんは全体に考えなしの乱暴者に見えるし、
その和藤内くんの行動は「日本男児スゲーよ」的に称揚されてるし、と、
全体的にどうも受け付けないのでした。

これ多分、個人的には世話物の方がまだしも性に合うと思います、きっと。
家柄や世間体といった「前近代の枠組みが壁になって添い遂げられない二人」には
まだ感情移入できそうだから。

とまあ、そんなことを考えさせられた浄瑠璃鑑賞でした。