歴史学って何ですか?(一部改訂)

ずいぶんとまた、大上段に振りかぶったような問いですが、
別に大それたことを言おうというのではないです。
この手のことって、あんまり外向けに発信されないと思うんですけど、
その理由はきっと「歴史を研究している人間には当たり前のことだから」だと思うんですよね。
でも、じゃあ歴史を研究していない人間にとっても当たり前か?というと、
決してそうではない(というか、きっと「全くない」と言っても過言ではない)。
で、これが外向きに語られないことの弊害って、結構あると思うんです。

少なくとも、自分が歴史研究に携わっている以上、
「歴史ってなんですか?」とか、
「歴史研究にどんな意味があるんですか?」とか、
「歴史って役に立つんですか?」とか、
そういう根本的な疑問に対して、問われればそれに答える準備はしておく必要があるはずです。

というわけで、このブログに来られる方はかなりの部分が同業の方だと思うんですが、
そういう方には多分当たり前すぎて退屈な話です(笑)。
とはいえ、せっかくなので、特に「そりゃー違うでしょ」ってときには、
コメントいただけるとありがたいです。
数少ない専門外の方には、興味がなければつまらない話かもしれませんが(苦笑)、
よかったら読んでいただいて、感想など書いてもらえるとうれしいです。

さて、前置きが長くなりましたが、まず最初に、
歴史学って何ですか?」というお話です。

とりあえず、私の答えは至ってシンプルで、
文字で書かれたものから、過去の姿を復元する営み」
ということになります。

これは実際にあったエピソードなんですが。
7・8年前のことになりますが、私が一般の合唱団で歌を歌っていたときのことです。
「大学院で日本史をやってます」と自己紹介したら、
複数の人に「石器埋めてるん?(笑)」という反応をされたんです。
そのときは「いや、あれは考古学なんですよ~」と返したんですが、
考えてみたら、自分も昔、卒業アルバムに
インディ・ジョーンズみたいな歴史学者になりたい」
と書いたことがあります。
つまるところ、自分も歴史学と考古学の区別がついてなかったんですよね、昔は。
(今にして思えば、そもそもインディ・ジョーンズはいわゆる『考古学者』じゃないよなー 笑)

で、こうした認識のズレがどうして生まれるのか、について考えてみます。
歴史好きの人もそうでない人も、みんな一応義務教育で歴史の授業を受けるわけですが、
歴史の教科書って、たいていは人類の誕生からはじまって、現代まで進みますよね。
そして、政治・社会・経済・文化と、時代ごとに各分野をまんべんなくカバーしています。
というわけで、歴史教育を受ける側にとっての『歴史』とは、そういったもの全体のはずです。

ですが、教科書がどうやって作られるか、ということを考えると、別のことが見えてきます。
「教科書がどうやって作られるか」というのは、
言い換えれば「教科書に書かれている内容は、何によってわかった事柄なのか」ということですが。

例えば、石器時代の人類の生活は、発掘された遺跡や遺物によって明らかにされたものです。
年号を覚えさせられるような様々な出来事は、文字で書き残された記録類で明らかになったことです。
いろいろな文化の多くは、現在残る美術工芸品や建築物から明らかになったことです。
で、それぞれ素材が違えば、当然その研究方法も変わってきますよね。

思いきっておおざっぱに分類すると、
文献史学…文字で書かれた情報(文献資料)から、過去の姿を描き出す
考古学…発掘した遺物・遺跡から、過去の姿を描き出す
美術史…絵画や彫刻から、過去の姿を描き出す
建築史…建物や図面から、過去の姿を描き出す
という内訳。

というわけで、「歴史学」といった場合、広い意味では、
こういった文献史学・考古学・美術史・建築史その他、
過去の物事を扱うすべての研究のことになります。

…なんですが、実際に「歴史学」という言葉の使われる場合には、
このうちの「文献史学」を指す言葉として使われることの方が多いです。
学会の名前が『歴史学研究会』で、その会誌が『歴史学研究』だったり、
学部生・修士向けの講座が『歴史学入門講座』だったり、という具合に。
この呼び名は、実のところ誇大広告なんですけれども。
(名が体を表してないという点では、「考古学」もそうですね。)

とはいえ、そうして狭い意味で使われていることが多いという実態に合わせて、
また、なにより僕は文献史学の話しかできないので、
ここから先は便宜上、「歴史学」といった場合には狭い意味の「文献史学」だ、
ということで話を進めていきます。

というわけで、
歴史学って何ですか?」
という問いも、ここでは「文献史学」という狭い意味に取ることにしますが、これに対する答えは、
文字で書かれたものから、過去の姿を復元する営み」
ということになります。
歴史学のいいところも限界も、
すべてはこの「文字で書かれたものから、過去の姿を復元する」ということに由来しています。
このことについて考えるために、
次回は「歴史の『勉強』と『研究』の違いは何ですか?」について書いてみます。

あ、この書庫がバンバン更新されるなんて思わないで下さいね(笑)。
適当に気の向くままに書いていくつもりです。





※コメントとのかかわりで、旧バージョンも残しておきます。
(以下、旧版)
思いきっておおざっぱに分類すると、
歴史学…文字で書かれた情報(文献資料)から、過去の姿を描き出す
考古学…発掘した遺物・遺跡から、過去の姿を描き出す
美術史…絵画や彫刻から、過去の姿を描き出す
建築史…建物や図面から、過去の姿を描き出す
という内訳。

つまり、「歴史学」という呼び名は実のところ誇大広告で、
「文献史学」というのが正確なところなわけです。
実際、他分野の研究者と話す時には、そう自己紹介することも多いんですけど。
(名が体を表してないという点では、「考古学」もそうですね。)

というわけで、
歴史学って何ですか?」
に対する答えは。
「文字で書かれたものから、過去の姿を復元する営み」
ということになります。
歴史学のいいところも限界も、
すべてはこの「文字で書かれたものから、過去の姿を復元する」ということに由来しています。
このことについて考えるために、
次回は「歴史の『勉強』と『研究』の違いは何ですか?」について書いてみます。