塩野七生『ローマ亡き後の地中海世界』。

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塩野七生さんの新刊は、『ローマ亡き後の地中海世界』というタイトルでした。
去年文庫になった『ルネサンスとは何であったのか』の巻末の、三浦雅士さんとの対談で、
「実はいま、イスラムを勉強しているんです」というセリフがあったので、予告通りの内容が来たな、と。
(この対談、僕は三浦さんのファンなので、実にうれしい企画でした。
 わかる人にはわかると思いますが、予想通り三浦さんがしゃべり倒してます 笑)

で、感想ですが…。
うーん、面白かったのは面白かったんですけど、評価としてはいまひとつ、かなあ。
今まで興味はあったけれどなじみのなかった対象を取り扱っているので、
知らなかったことをいろいろ新しく知ることができて良かったとは思います。
読物としても、個人的に特に下巻の方はなかなか面白かったですし。

ただ、読んでも結局よくわからなかったという部分がかなり残った、というのと、
いろいろ考えてみたくなるような興味深い対象があまり登場しなかったなあ、というのがあって。

要因はいくつかあると思われます。

1 一神教的非寛容さがどうも受け付けない
今回の話の基本的な構図は「キリスト教徒VSイスラム教徒」なわけです。
で、作者はその一方の陣営の立場も立っていないのですが、
(海賊の被害を受けるキリスト教徒側に、おのずと傾斜しているところはありますが)
読んでいると、宗教の持つ非合理性や、一神教特有の排他性・独善性といったものに、
作者が辟易してるのが伝わってくるんですよね。
制服行にしては混乱するばかりで続行も危ぶまれていたイスラム勢によるシチリア戦線だが、嫌気がさして撤退するどころかなおも前進をあきらめなかったのだから、宗教上の情熱は度し難い。」
とかね。
たぶん読み手の大多数も似たような思いになるので、読んでてやっぱりしんどい部分はあります。

思うに、『ローマ人の物語』のローマ帝国にしても、『海の都の物語』のヴェネツィアにしても、
そういう一神教的偏狭さが支配的ではなかったところに値打ちがあったわけで、
その意味では、今回は素材そのものに難があったかなあ、と。
要するに、困った人たちを困った人たちとしてリアルに描いてあるわけです(笑)。

上巻の登場人物でずば抜けて面白いのは、本来やっぱりフリードリッヒ二世なのですが、
彼はやはり「時代に早すぎた異端児」であり、中世シチリア王国も「歴史の谷間に咲いた一厘の花」であって、
それを中心には描けないんですよね、きっと。だから著者も「間奏曲」としてしか描かない。
とはいえ、上巻でも救出修道会と救出騎士団の話はなかなか面白かったです。


2 主要登場国(?)のスペインのダメッぷりが目に付く
読み物としてはスペクタクルでなかなか楽しい下巻ですが、
ここの場面や登場人物が魅力的でも、いかんともしがたいのは一方の超大国スペインのダメッぷりです。
具体的にどうダメかはそれこそ本書をどうぞお読み下さいということになりますが、
一言で言えば、各国の海賊対策に関する著者の評言
スペイン王国―右に述べた事情によって、実際上の有効期間ならば、ほとんどなし
に尽きてしまいます。
「海賊の根拠地を叩く」というそもそもの発想自体は悪くないんだよね、きっと。
問題は、それを実効的に行えないこと、それも力がないからではなく持続する意志がないからである
という点が、読んでいて「うーん」と思ってしまう理由かなあ。

まあ、もっともこの点に関しては、政府崩壊後のソマリアの治安状態を回復できず、
海賊の跳梁に対して護衛艦船を付けるという対症療法しか打つ手がない、
という現代の我々が、偉そうに言えることではないのかもしれませんが…。


3 中世という時代のあり方そのものに、叙述の難しさがある
古代・中世・近世という時期区分を大雑把に言うと、
(古代)帝国という大きな統一権力の成立→(中世)統一権力の崩壊と分散化
→(近世)王権etc.の統一権力による再統合
という感じになるんだと思うのですが、支配の実効性はさておいて、
見た目に上部構造がしっかりあると、叙述としては非常にさっぱりするわけです。

ところが、作中で塩野さん自身が嘆いている通り、中世というのはどうにも焦点が絞りづらく、
専門家であっても、叙述はモノグラフの集積にせざるを得ない部分がある。
そこを塩野さんはなんとか全体像として提示しようとするのですが、
たとえば、「地中海」を冠しているとはいえ、上巻が事実上イタリア―北アフリカ中部間の叙述に
終始している点などは、やはり限界があるように思えてしまいます。
叙述が地中海規模で展開するのは、ルネサンス期に超大国トルコ・スペイン・フランスが
主要プレイヤーとして登場してきてからです。

やっぱり中世というのは、ある程度わかりやすく話を進めようとしたら、
『海の都の物語』のように話の対象をひとつに据えることで、
そこからいろいろなものを派生して描く、という手法の方が向いてる時代なんだと思います。
そしてその場合、そのポイントの選択こそが、叙述の成否を左右する、と。

先述した時代的特質を、専門外の歴史ファンの分布と比べると、たとえば日本の場合、
平安時代のいわゆる王朝文化華やかなりし頃までのファンがある程度いて、
中世についてはどうもイメージしにくいという反応で、
戦国時代にファン数のピークが来て、江戸時代はそれなりに固定ファンがいて…
というのと、実に見事に対応しているように見えます。
叙述する側にとっても、受け手にとっても、やっぱり難しい時代なんですよね。
それゆえの面白さというものも、一方ではあるのですが。



以上、いろいろ書いてきましたが、特に3の点で、
歴史の叙述のプロの駆け出しの、自戒の念を込めた感想でした。