北村薫『空飛ぶ馬』。

久々のブックレビューですが、取り上げるのは20年前の作品です(苦笑)。
ま、いいんですけどね。基本的に、速報性というやつにまったく重きを置いていない人間なんで。

北村薫さんのデビュー作でもある『空飛ぶ馬』は、
織部の霊」、「砂糖合戦」、「胡桃の中の鳥」、「赤頭巾」、「空飛ぶ馬」
の五編からなる連作短編集。
形式としてはミステリですが、殺人事件といった大々的なことではなく、
主人公である「私」の身の周りで起こった、日常の中のちょっとフシギな出来事を、
落語家の春桜亭円紫さんが謎解きしていく、という内容。

で、探偵役の円紫さんですが、この人は基本的に「事件」の現場に居合わせません。
というか、「私」ですら当事者ではなく、事件の内容は人からの聞き伝え、ということもしばしば。
その意味では、ベッド・ディテクティブに近い形式ですね。
読みながら、「これは『九マイルは遠すぎる』(@ハリイ・ケメルマン)だなあ」
と思っていたら、解説にまさにその名前が出ていました(文庫版)。
なんていうか、論理パズルに近いんですよね。
言葉のロジックというか、その場にいなかった人間が、
限られた伝聞情報からどれだけその先にあるものにたどり着けるか、っていうことで。
現実にこれをやった場合、一歩間違うと妄想のオンパレードになってしまうんですけど(笑)。
歴史学の研究というのはこの作業に似ていると個人的に思っているので
(文字資料から目一杯情報を引き出して、取捨選択し組み合わせて立論する)
個人的にはミステリの中でも好きなジャンルです。


ミステリとしてはそんな感じですが、小説としても主人公の心理描写が実に素晴らしい!
男性でこれだけ女性の内面を、それも少女から大人に変わりつつある女性を描けるっていうのは、
本当にすごいと思います。
自分の体や心に対する自己愛とか、「大人」に対するどこか観念が先走った嫌悪感とか。
「胡桃の中の鳥」の、女の子3人の旅館でのガールズトークも、とっても自然で魅力的です。
もちろん、あくまで男目線から見てのリアリティですが。
女性の視点からだとどう見えるのかな~。

現実にどれだけ性別の差があるかはともかくとして、
やっぱり男性作家にとって女性を内面まで描くのは難しいことだと思うんですよ。
そこで「描けない」と割り切っちゃうと村上春樹みたいになり、
妄想で割り切っちゃうと渡辺淳一みたいになるんじゃないかと思ってるんですけど(笑)。
もちろん小説は創作で、基本的には自分の地平から離れて他者になりきる必要があるわけですが、
これだけ離れた存在になりきれるというのはやっぱりすごいなあと思います。

5本の短編の中で、個人的にいちばん印象に残ったのは「赤頭巾」と「空飛ぶ馬」です。
が、その2つでも特に「赤頭巾」の方が印象に残りました。
人間の明と暗をそれぞれ見事に切り取った作品だと思うんですが、
とりわけ人の心の暗部をとらえた「赤頭巾」の後味の悪さが印象的で。
なんというか、筒井康隆の『家族八景』を読んだ時の後味の悪さに通じるものを感じます。
目にしたくはないけど、でも確かにそういうことってあるよね…っていう。
その意味では、「砂糖合戦」も通じるものがあって非常にイイです。

それにしても、文章それ自体がなんだか味わい深くて、
するする読んでしまうのがもったいない感じがして、
なんだかわざとブレーキをかけながらゆっくり目に読んでしまいました。

これはシリーズものの第一作目で、続編はまだ読んでいないのですが、
(ネットで大人買いしたので、着くのが非常に楽しみw)
時間軸に沿って作品世界の時間がきちんと進むタイプの作品なので、
先々「私」は成長していくわけですよね。
そう思うと、続編を読むのがとっても楽しみです。