待賢門院陵。

法金剛院の裏山は、願主である待賢門院の陵墓となっています。
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日本史上、数奇な運命を辿った女性はいろいろいますが、
まあかなりの上位にランクされる方ではなかろうかと。
それもこれも、どちらかというと角田文衛大先生によるところが大きいのではなかろうかと…。
(大先生の「せい」と書こうかと思いましたが、まあそれはさすがに言い過ぎかと思いまして)

待賢門院はもともと鳥羽天皇中宮で、崇徳天皇を産むのですが、
崇徳天皇鳥羽天皇の子ではなく、鳥羽天皇の祖父である白河院の子であるという、
古事談』に載っている説話のせいで、なんだかスキャンダラスな扱いにされてしまったわけで。
で、それが「事実」である!と主張した本が、角田文衛『待賢門院璋子の生涯―椒庭秘抄』。

もちろんそれが事実かどうかなんて確かめようがないわけですが、
文献的には黒白はっきりせず、個人的心象としてはかなり「うそ臭い」と思っています。
が……説話であれなんであれ、史料として書かれていることを状況証拠からひっくり返すのは、
文献史学では非常に難しいんですよね~。

ついでながら、生物学的な問題はいざ知らず(子供の父親なんてDNA鑑定でもしないと確定不能なんだし)、
政治史的に重要な点は、「崇徳天皇は存命中に白河院の子供として扱われたことは一度もない」ことです。
この時点で、崇徳天皇の「本当の父親」が誰か?という問いは、実質的に無意味ではあります。
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ま、そんな後世の研究者の関心はさておいて、陵墓自体は非常に落ち着いたたたずまい。
参道がこんなにきれいに整備された、しかも花まで植わっている陵墓って、
お目にかかったことがない気がします。


さて、おまけというわけではありませんが、
陵墓のさらに奥には、仁和寺宮歴代のお墓があります。
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中に入れるわけではないのですが、こちらサイトに中の写真があるんですよね…。
かつては入れたってことなんでしょうねえ、きっと。