文子天満宮。
話は先日の名人戦第六局に遡ります。
対局が行われていた渉成園の前まで行ってみた、というレポは先日書きましたが、
この界隈にもいろいろと史跡があります。
が、知っていても全然行ったことはなかったから行ってみた、ということで、以下がレポです。
対局が行われていた渉成園の前まで行ってみた、というレポは先日書きましたが、
この界隈にもいろいろと史跡があります。
が、知っていても全然行ったことはなかったから行ってみた、ということで、以下がレポです。
まず、少し北に行くとあるのが文子天満宮。
由緒がいささか説明しづらいのですが、
1 903年(延喜三)に菅原道真が大宰府で没した。
2 942年(天慶二)に多治比文子という女性が道真の託宣を受け、家に社を建て道真を祀った。
3 947年(天暦元)に社が現在地に移されたのが、北野天満宮。
というのが、基本的な北野天満宮の成り立ち。
で、文子天満宮は多治比文子の建てた社の跡地、というのが社伝です。
由緒がいささか説明しづらいのですが、
1 903年(延喜三)に菅原道真が大宰府で没した。
2 942年(天慶二)に多治比文子という女性が道真の託宣を受け、家に社を建て道真を祀った。
3 947年(天暦元)に社が現在地に移されたのが、北野天満宮。
というのが、基本的な北野天満宮の成り立ち。
で、文子天満宮は多治比文子の建てた社の跡地、というのが社伝です。