丸亀城(四国縦断弾丸ツアー・その4)。

さて、続いてはJR予讃線でお隣の丸亀市へ。
お目当ては丸亀城です。
現存十二天守完全制覇計画の一環ですね。

丸亀城
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もととなるようなものは天文年間にすでに存在したようですが、
1597年(慶長2)に現存の城郭を築いたのは、生駒親正・一正父子。
生駒親正は豊臣政権で三中老を務めたことで有名ですね…って、三中老自体が世間的にはマイナーか。
とはいうものの、親正は1590年(天正18)に高松城を築いており、
1602年(慶長7)に高松城が本城とされました。
というわけで、1615年(元和元)の一国一城令が出されると、丸亀城はいったん廃城となります。

が、1640年(寛永17)に生駒氏がお家騒動で讃岐一国を没収されると、
高松には2年後に松平頼重徳川光圀のお兄さんですね)が入り、丸亀には翌年に山崎家治が入ります。
これで丸亀城はめでたく復活した、というわけです。
その後、1657年(明暦3)に山崎氏の血筋が断絶、翌年に京極高和が新たに藩主となり、
現存の天守は1660年(万治3)に完成したものだそうです。

このお城、もちろん天守も価値のあるものですが、
どちらかというとファンの間では石垣のほうが愛でられているようで。
いやー、確かに立派な石垣でした。
立派過ぎて、登るだけでゼーゼー息が切れました(笑)。まあ登山のあとだったからねー。
そら平時には平城の方が便利だよな…としみじみ実感。
こんな石垣です。日本の城の中で最も高い石垣(総高60m)。
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一方、天守は現存の三層天守では最小。
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眺望は素晴らしかったです。
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讃岐富士の写真も追加。写真左の山が讃岐富士ですね。
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