ぶどう甘いか酸っぱいか。

イソップ童話の「すっぱい葡萄」というお話がありますよね。
ぶどうがおいしそうに実っているところにキツネが通りかかって、
食べようとして跳び上がるんだけど高くて届かなくて、
「あんなぶどうはどうせすっぱくてまずいやい!」とあきらめてしまう、というお話。

世間的にはこのキツネはマイナスイメージで語られることが多いと思うのですが、
でも考えてみると、人生なんて色々な理由でどうしても手に入らないものというのはたくさんあるわけで、
どだい無理なものを追い続けたり、代わりの何かで心を満たそうとするくらいなら、
理由付けはどうあれ、何らかの形できちんと自分の欲求にけりをつけるというのは、
非常に実際的で有用なのではなかろうか

…と、『源氏物語』を読み返していて思うわけです(笑)。
なんていうかな、昔にくらべてずいぶんと光源氏に対する見方は甘くなりましたけど、
それでもやっぱり共感できないなー(笑)。
人間の値打ちは、自分に欠けているものへの対し方で決まるのだなあ、としみじみ思う今日この頃です。

対照的に、藤壺を筆頭に、女性キャラはみんなばたばたと出家することで
「人生を降りる」という折り合いのつけ方をしますよね。
藤壺の場合は「母は強し」なのかもしれませんが)
そうやって思い切れてしまえば良いのかもしれませんが、まあ現実にはなかなかそうも行きますまいて…。