十月大歌舞伎@南座。

十月大歌舞伎
一、歌舞伎十八番の内 矢の根(やのね)
曽我五郎時致 橋之助
大薩摩文太夫 男女蔵
馬士畑右衛門 亀 鶴
曽我十郎祐成 翫 雀

二、墨染念仏聖 法然上人譚
法然上人八百年大遠忌記念狂言 新作歌舞伎)
法然上人   藤十郎
熊谷次郎直実 橋之助
式子内親王  壱太郎
九条兼実   亀 鶴
源智上人   翫 雀

三、連獅子(れんじし)
狂言師右近後に親獅子の精 翫 雀
狂言師左近後に仔獅子の精 壱太郎
僧蓮念          亀 鶴
僧遍念          男女蔵

昨日は朝起きた瞬間ふらついたヒナです。
うーん、3連休が学会三昧というのは、楽しいけどやっぱきついですね。
一参加者がこれなので、報告者の健康状態が心配です(苦笑)。大丈夫かなー。

んで、その3日目の午前中に行ったのがこの催し。
学会の「仏教祭り」状態に触発されたというわけではありませんが、
この日に行っておかないと、別の日に行ける自信がなかったので。
京にゃんこ&京ねずみさんのブログで紹介されてて、これは行きたいなーと思ってたんですよね。
再演機会があるかどうかあやしいところですし。
なんてったって、次の八百五十年大遠忌となると50年待ちですから(笑)。
あと、曾我物はまだ見たことがなかったので、一度見てみたかったんですよね。
そもそも、歌舞伎自体を生で見るのが2年ぶり3回目なんですけどね。そこまで手が回りません。

というわけで、まずは「矢の根」の感想から。
チラシを見てもわかりますが、とにかく曽我五郎のいでたちがスゴイ(笑)。
『遊星からの物体Ⅹ』(頭が多足類)を250年先取りしてます。
いやでもほんと、歌舞伎の衣装のデザインてポップアートもびっくりですよね。
江戸時代の日本人のセンスに脱帽です。

内容的には別にどうということはなくて、本来は新春向けのおめでたいお話。
父の敵討ちに備え、大きな矢の根を研ぐ曽我五郎。
そこに、祝儀の宝船を描いた縁起物を持って、大薩摩文太夫が年始の挨拶に訪れます。
で、宝船の絵を枕に敷いて五郎が寝ると、仇の工藤助経に捕らえられた兄、曽我十郎が
五郎の枕元に立ち、助けを求めます。
飛び起きた五郎は、通りかかった馬士から馬を奪い、兄の救出に向かうのでした。

宝船のところでは
「長き世の 遠の眠り(ねぶり)の みな目覚め 波乗り舟の 音の良きかな」
の回文が読まれます。
「いい初夢が見られるように」という縁起物ですね。
この夢が吉夢かどうかははなはだアヤシイですが。

最後の「通りかかった人から馬をかっぱらう」というのはある種のお約束で、
「馬の中の人も大変だな」的にお客さんから笑いが起こるのも狙い通りなんでしょうね。
実際あれ、軽々とした感じで役者さんを乗っけて演技するのは大変だろうなーと思います。
初めて歌舞伎を見に行ったとき(かれこれ10年ほど前の顔見世)にも馬が登場したのですが、
一緒に見に行った友人が「いつも『ウマー!』と声をかけたくなる」と言っていました。
(「成駒屋!」的にね)

さてそれで、お目当ての「墨染念仏聖」です。
あらすじは公式HPのをそのまま引用させてもらいましょう。
浄土宗の開祖、法然上人(藤十郎)が亡くなって一年余り。弟子の源智上人(翫雀)は、法然の遺徳を偲び、阿弥陀如来立像を造り、亡き師に救われた人々に思いを馳せます。そのひとりが義経の命に従い、父として子を討った罪と悲しみに後悔し続けている熊谷次郎直実(橋之助)。また法然の教えによって救われたのは男性だけではなく、薄幸の姫君である式子内親王(壱太郎)も心の闇から救われたひとりです。身分の貴賎を問わず、多くの人から慕われた法然でしたが、旧仏教の大勢力や聖道門と呼ばれる人々から激しい弾圧を受けた末、遠国への流罪を命じられます。
政界という権謀術数蠢く社会に身を置く九条兼実(亀鶴)は、法然の教えの素晴らしさを知り、救おうと奔走しますがその甲斐も無く、配流の院宣が下ります。表向きだけでも布教を憚るように勧める兼実たちに対し、全ての人の極楽往来を願う法然はその申し出を退けます。こうして法然の志は遂げられ、その教えは広く世に伝わって行きました。

「物語の幕開けは法事のシーン」というなかなか斬新?なオープニング。
回り舞台で僧たちがぐるぐる回る中、源智上人が奈落からせり上がりで登場します。
阿弥陀如来像がワイヤーで天井から上り下りしたり、
法然上人も奈落からせり上がりで登場したりと、なかなかにスペクタクルです。
「これはこれでいいんじゃない?」と思いました。歌舞伎なんだし。
あと、なんと言っても、所作とセリフの節回しが確かに歌舞伎でした。違和感なし。

ストーリーに関しては、見ていて「えっ?」と思ったことが2点。
一つ目は、熊谷直実が一ノ谷合戦で平敦盛を討つエピソードが出てくるのですが、
一般的には「直実は我が子に似た敦盛を討ったことで世の無常を感じ出家する」
という筋立てなのに対して、この作品の中では
「敦盛は実は後白河院落胤なので、直実は我が子を討って敦盛の身代わりとした」
という話になっていました。
あとで後輩に聞いたら、これって歌舞伎でそういう作品が元々あるんですね(「熊谷陣屋」)。
番組の説明を読んだら、確かにちゃんと説明がありました。なるほど。

で、もう一つは、式子内親王
「玉の緒よ 絶えなば絶えね 永らへば 忍ぶることの 弱りもぞする」
の歌に関するエピソード。
式子内親王が登場して、法然に向かって自分の報われぬ恋情について述べるのですが、
最後に一言、その恋の相手は誰かといえば、「それはあなたさまです」と。
えーっ!と思ったのですが、実はこれもそういう説が国文学であるんですね。
同じ後輩が教えてくれました(それにしても、ほんと何でも知ってる後輩です 笑)。

んで、それに対し法然上人がどのように答えるかというと、
「それは煩悩でございます。阿弥陀様におすがりなさい。」
※セリフそのものははっきり覚えていないので、「こういう意味のセリフだった」とご理解下さい。
…いや、それは確かにそうなのですが上人…(苦笑)。

とまあそんな感じでした。
(午後からは例会があったので、最後の鏡獅子は見ずに出ました。)
僕としては楽しめましたが、内容を理解しようとすると、
法然についての知識と、歌舞伎などの知識と、いろいろ必要なのではないか、とも思いました。
もっとも、そんなことは考えずに、
舞台の上で演じられるものをありのままに見れば、それはそれでよいのかもしれませんね。
別に江戸時代の人も、「熊谷陣屋」が史実かどうかなんて考えずに見てたでしょうし。
現代人がそれでいいかと言われると、それはまた難しい問題ですけど。
大河ドラマの観方に対するスタンスとか、ね。

その場合、「ただただストーリーとして面白いのかどうか」が問題になるわけですが、
まっさらにフラットな立場で見た人の意見が聞いてみたいですね。
と、そんなわけで、機会があればみなさまぜひ見て、感想をお教え下さいませ。

ちなみに、祝日の午前中に当日券でふらっと見たのですが、
隣の席に座ったお兄ちゃんも、おそらくそんな感じでした。
自分も含めて、「男性お一人様」というお客さんも案外いるものなんですね。
もちろんいちばん安い3等席で見ましたが、
南座は箱としては小さいので、3等席でも舞台は十分良く見えますよ。
ただ、座席が小さいので、大柄な人にはちょっと窮屈で辛いかもしれません。
小ぢんまりとした自分の体格がありがたく感じられる瞬間です(笑)。