二条城→千本釈迦堂。

昨日は二条城→千本釈迦堂と歩いてきました。

・二条城
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実は二条城に行くのは初めて。
…だってあんまり近いとありがたみがわかなくって(苦笑)。
それに、平安時代の史跡だけで手一杯で、江戸時代の史跡まで手が回りません。
が、行ってみて思いました。これはスゴいわ…。
二条城の二の丸御殿だけで、博物館一つ分以上の値打ちがあると思います。
狩野探幽の障壁画を一日にこんだけ見られるんだもんなあ。
二条城についての詳しい説明はコチラをどうぞ。

寛延3(一七五〇)年に焼失して現存しませんが、二条城にはもともと天守閣もあったんですね。
ネットで調べたら5層だったらしいんですけど…この天守台に5層も乗るようには見えないけどなあ。
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天守台からは比叡山がよく見えます↓
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で、二条城からてろてろと北に歩くとあるのが、一条戻橋と晴明神社
いずれも安倍晴明がらみで近年知名度が急上昇した史跡。

・一条戻橋
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一条戻橋の説明はコチラをどうぞ。
橋占をやろうにも、いまじゃなんてことのない普通の橋ですが。
晴明神社にある復元ミニチュアがこちら↓
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橋のたもとには式神の像が寄贈されてますけど…なにもそんなものにお金使わなくてもいいと思うんだけどなあ。


で、お久しぶりの晴明神社
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説明はコチラ(手抜き…まあ詳しい説明がもう他所にあるんだし、それでいいでしょ)。
付け加えると、一応近年の研究では、晴明の屋敷があったのは晴明神社の場所ではなく、
現在の京都ブライトンホテルのあたりだ、というお話になっておりますです、はい。

さて、さらに北に上り、今出川通で西に折れます。
たまたま通りかかったのが首途(かどで)八幡宮
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源義経が奥州平泉に赴くに際、道中の安全を祈願した八幡宮とされています。

さらに西に行くとあるのが般舟院。
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今現在どうというお寺でもないですが(とはいえ、不動明王像・阿弥陀如来像の二体の重要文化財があるのだが。
京都の寺社恐るべし…)、もともとは禁裏道場として、代々皇室関係者の位牌が収められていたお寺です。
現在位牌は全て泉涌寺に移っちゃったんですけどね(要はお墓のあるところに移した、ということ)。
山号が「指月山」であることからわかるように、最初は伏見の指月山に建てられたんですけど、
豊臣秀吉伏見城を立てたときに現在地に移されました。

で、最終目的地にして一番の目的地である千本釈迦堂
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正式名称は大報恩寺で、安貞元(一二二七)年に義空(藤原秀衡の孫)によって創建された寺院。
応仁・文明の乱でも火災に遭わなかったので、平安京の範囲内に残る建造物では最古なんですね。
現在では毎年12月7日・8日に行われる大根焚きの行事
鎌倉時代に慈禅という僧が、大根の切り口に梵字を書いて息災祈願を行なったのが起源とされる病気除けの行事)で有名なのと、あとは「おかめ」伝説発祥の地としても知られています。
↓おかめ像↓
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(おかめ伝説…造営の際に、大工の棟梁高次が柱の寸法間違って切り出してしまい困っていた。
 高次の妻のおかめが枡組を用いたらどうかとアドバイスし無事に完成させることができたが、
 おかめは女の提案で大任を果たしたことが知られないよう完成前に自害してしまった。
 高次は妻の冥福を祈り塚を建て、おかめの名にちなんだ福面を付けた扇御幣を飾った…というお話。)

これで最後と思っていたら、千本釈迦堂から南に下って、千本中立売にある合唱団の事務所に行く途中に、
(手伝いに行くついでだった…ずいぶん遠回りになるけど)
「そういやこんなのもあったね」と思って最後の一枚。
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清和院です。
清和天皇が住んでいた外祖父藤原良房の染殿が、天皇死去後に清和院と改められ内道場とされたのがはじまりです。
もともとの所在地は京都御苑の中でしたが、一六六一(寛文元)年の皇居炎上で焼けて現在地に移転。

ほかにも、そもそもがこの辺はほとんどが平安宮の内部だし、応仁の乱のいわゆる西陣だし、
詳しい場所が思い出せなかったから行かなかったけどお茶の家元の千家もあるし…と、
もう史跡がゴロゴロしてるんですよね。
京都でこうやって歩いてたら、いくら時間があってもほんまキリがないです。