東寺近辺の史跡。

さて、東寺の周りには他にもいろいろ史跡がありまして。
(まあ京都なんて史跡だらけですが)

・西寺跡
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東寺とペアで作られたお寺が西寺。
東寺と違って摂関期頃から衰微し始め、
1233(天福元)年に塔が焼けてからはほとんど史料に登場しなくなり、
(もっとも、東寺だって摂関~院政期はちょっと経営が傾いてましたけど)
現在は公園になっています。
今は講堂跡の土塁と礎石が3つ残っていて、土塁のところに石碑が建っています。
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・羅城門跡
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_50050513_5?2007-10-20 16:19:53
西寺なんて遺跡が残ってるだけまだマシな方で、
「どこにあるのかすらさっぱりわかりません」という状態なのが羅城門跡。
現在は公園に石碑が立っているのですが、この位置は1895(明治28)年に
平安遷都千百年紀念祭の事業の一環として行われた平安京実測事業で推定されたものです。
(そこらへんの詳しい経緯は京都市歴史資料館のHPでどうぞ)

九条通りから見て公園の手前に位置するのは矢取地蔵というお地蔵様の祠ですが、
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(矢取地蔵にもいろいろいわれがあるんですね)
祠の中にはこんな羅城門の復元模型が。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_50050513_7?2007-10-20 16:19:53

六孫王神社
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_50050513_8?2007-10-20 16:19:53
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_50050513_9?2007-10-20 16:19:53
六孫王こと源経基清和源氏の祖)を祀る神社です。
境内は経基の旧宅跡・墓と伝えられています(本殿の後ろにあるのが廟)。
現在の社殿は元禄期のもので、境内内にはいくつか石灯籠が。

↓寄進者の「松平吉保」=柳沢吉保です。
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↓こちらの石灯籠にも「元禄十五(壬午)年」の銘がありますが、植え込みに隠れて寄進者は確認できず。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_50050513_11?2007-10-20 16:19:53

↓こちらは文久の寄進。寄進者は南部利剛
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_50050513_12?2007-10-20 16:19:53

で。
実は六孫王神社については調べてから行ったのではなくて、
「東寺の北門を出てみたら目の前のバス停が『六孫王神社前』だった」というわけなんですが、
六孫王神社と対になっている大通寺というお寺がありまして。
源実朝の妻である本覚尼や、『十六夜日記』の作者である阿仏尼も入寺したお寺です。
そのこと自体は解説板を見て思い出したんですが、調べてこなかったので場所がわからず。
というのも、大通寺は旧国鉄の用地にかかった都合で1911年に移転してしまっているのです。
そんなわけで、残念ながら行けませんでした。
帰ってきて調べてみたら、東寺のほんとすぐそこだったんだけどなー。