等持院。

昨日今日と、某大学で朝から夕方までお仕事でした。
ちゃんと昼食が付いた上におやつまで出るという「至れり尽くせり」状態だったのですが、
昼食がバイキング形式なのでついつい取り過ぎる上に、
豚丼を取った上に炊き込みご飯まで食べてしまった…)
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おやつもこんなにがっつり出ます。
シャトレーゼのお団子・カステラおよびみかん)
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そんだけ食べたら、カロリーどうこう以前の問題として、たいがいおなかいっぱいで苦しいわけで、
昼の休憩が1時間半ほどあるのをいいことに、今日は近辺を散歩してきました。


というわけで、前置きが長くなりましたが、行き先は大学から徒歩数分の距離にある等持院です。
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1341(暦応4)年に足利尊氏によって夢窓疎石を開山として建てられた寺院で、
足利家の菩提寺であり、十刹の筆頭寺院です。
もとの本寺は柳馬場御池にあって、現在地は本来別院だったのですが、
応仁の乱で本寺が焼失した後、別院に移転して現在に至る、というわけ。

当然足利家との関係は深くて、現在有名なのは霊光殿にある足利将軍15代の木像でしょう。
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向かって正面の本尊が地蔵菩薩、左右が達磨大師夢窓疎石です。
で、壁面に沿って、向かって左に1~8代将軍、右に9~15代将軍の木像が並んでいます。
(ただし、5代義量と14代義栄はいません。)
それぞれ個性がちゃんと出た像で、なかなか面白いです。

他にも、足利将軍15代の供養塔とか、
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足利尊氏墓なんかがあります。
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銘文です。「延文三年四月」の文字が見えるかな?(延文三年=1358年。尊氏の没年。)
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夢窓疎石作と伝えられる庭園は結構な広さで、ゆったり見て回れます。
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常緑樹が多いので、季節を問わず年中楽しめそうです。