吉野山歩き(その1)。

一日家で論文を書いていると、当然ながらネタはないわけで。
そこで、以前書きかけにしてそのままになっているネタを、ちょっとずつアップしていこうかと。
まずは昨年5月に行った吉野から。

吉野へは近鉄橿原神宮前で乗り換え、さらに一時間弱ほどといったところ。
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駅を見ればわかりますけど、かなりひなびてます。
そこからさらにロープウェイに乗って、
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さらにしばらく歩くと金峯山寺蔵王堂に出ます。
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これが吉野の中心的な建物。

さて、吉野と言えば、一つは「敗者の逃げ込み先」というイメージ。
主だったところでは、天武天皇源義経後醍醐天皇の3人ですよね。
(個人的には古人大兄皇子も忘れないでね、なのですが。)
当然吉野にはこの3人に関係する史跡もたくさんあります。
多すぎて全てをあげられませんが、
たとえば、蔵王堂から少し下ったところにあるのが、吉野朝宮(=南朝)址。
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蔵王堂からさらに奥に歩いていくと、吉水神社。
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ここはもとは吉水院という僧坊で、明治の神仏分離の際に神社となりました。
後醍醐天皇主祭神に、南朝の臣であった楠木正成吉水院宗信法印を祀っています。
ここには後醍醐天皇源義経豊臣秀吉が滞在したと伝えられる書院があり、
現存最古の書院造の建物として、重要文化財に指定されています。
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で、もっと歩いて行くと桜本坊
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桜が咲き誇っている夢を見た大海人皇子天武天皇)は、
「桜の花は花の王であり、この夢は近々皇位に着くよい知らせです」と教えられた、
と伝えられています。
で、壬申の乱に勝利して皇位に着いた後に建てた寺とされているのが、この桜本坊というわけ。


さて、この辺までは大体ひとかたまりなので、まあ2時間もあれば全て見て回れます。
時間や体力がちょっと…という場合は、この辺で一区切りでしょうか。
まだ余裕があるよ~という場合は、谷を一つ下って上ってして、如意輪寺へ。
後醍醐天皇ゆかりのお寺で、後醍醐天皇の御霊殿などがあります。
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寺の裏手には後醍醐天皇陵。
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(続く)