宝塔寺(鳥羽・伏見を歩く その5)。

このシリーズ、前回鳥羽周辺については書き終えたのですが、まだまだ続きが。
この日はちょうど伏見稲荷で「田植祭」というのをやっていて、それを見に行こうと思っていたんです。
なにしろ、今でこそ伏見稲荷=商売繁盛のイメージですが、
もともとは稲荷=「稲成り」(イネナリ)で農耕神だ、という説が有力なわけで。
で、昼ご飯を食べてから伏見稲荷に移動したのですが…。
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https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_53984858_1?2008-06-19 23:45:52
なんかどうもしっかり神事らしく、要所要所で写真撮影は禁止されている様子。
炎天下で待ってるうちに、自分がこの行事をそれほどまでに見たかったのか、
なんだか良くわかんなくなってしまいまして(笑)。

というわけで、祭事が始まる前に切り上げて、伏見周辺の史跡へと移動。
伏見稲荷に行かずに最初から直行してたら、歩く距離がずいぶん短くてすんだんだけどなあ(苦笑)。

そんな風に南へ歩いてる途中、見つけたのがこのお寺。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_53984858_2?2008-06-19 23:45:52
・宝塔寺
嘉祥年間(848~51)に藤原基経が創建した極楽寺が前身と伝えられるお寺です。
源氏物語』第三十三帖「藤ノ裏葉」に登場する極楽寺
夕霧が内大臣(=頭中将さんです)に、雲居雁との結婚のOKをもらう場面ですね
…って、そんなことを僕はちっとも覚えてませんでしたが(笑)。
もとは真言宗のお寺でしたが、鎌倉時代日蓮宗に改宗され、名前も宝塔寺と改称しました。
ちなみに、上の写真の総門は重文です。

・本堂
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_53984858_3?2008-06-19 23:45:52
1608(慶長13)年の建立で、日蓮宗本堂としては京都最古。こちらも重文。

・多宝塔
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497049/img_1497049_53984858_4?2008-06-19 23:45:52
室町後期に建立されたもので、京都市内に現存する最古の多宝塔だそうです。これまた重文。
いやー、いい塔だったなあ~。立派でした。

たまたま通りかかったお寺でしたが、とってもいい雰囲気のステキなお寺でした。
伏見稲荷から南に500mといったところなので(地図)、
行かれる時には足をのばしてみるといいのではないでしょうか。オススメです。
ちなみに、かつてはたびたび時代劇の撮影で使われたようで、あの風情なら納得。