松江城と人柱(八雲立つ出雲 その7)。

出雲大社から松江市内に戻ってきて、まだ時間があったので、その足で松江城へ。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497051/img_1497051_54375525_0?2008-07-18 23:43:49
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松江城は、1611(慶長16)年に堀尾吉晴によって築かれたお城です。
このお城、子供の頃から一度行ってみたかったんですよね。
というのは、子供の頃に叔父さんからもらった歴史の本(たしか『歴史と旅』の別冊の、城の特集)に、
松江城天守閣にまつわる人柱伝説が掲載されていたんです。
確かこんな感じ。
堀尾吉晴松江城を築城しようとした際、地盤が緩かったために天守閣の工事が難航したので、
盆踊りの輪の中から踊りの上手な娘を一人選び出し、人柱として埋めたところ、天守閣は無事完成した。
ところがその後、堀尾氏は三代で跡継ぎがなくお家断絶、
堀尾氏に次いで松江に入った京極氏も、同じく跡継ぎがなく一代でお家断絶、
京極氏の跡には徳川家康の孫である松平直政が入った。

直政が松江城天守閣に登ったところ、女の霊が現れ、直政に「この城は私のものだ」と言った。
直政はとっさに、昨夜の膳に出た魚のことを思い浮かべ、
「コノシロはお前のものだから安心するように」と返事をした。
直政がコノシロを三方に乗せて天守閣に供えておいたところ、翌日にコノシロはなくなっていた。
というお話。
注釈をつけると、「コノシロ」はニシン科の魚で、若魚は「シンコ」とか「コハダ」と呼ばれるそうです。
なお、「天守近くで盆踊りを催すと城が震えるので、盆踊りも一切禁止された」という話も伝わっています。
みなさんも、行かれた時にはぜひそんな伝説を思い浮かべてみて下さい。

天守閣からの光景ですが、雨に煙ってるなあ…。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a5/64/historian126/folder/1497051/img_1497051_54375525_2?2008-07-18 23:43:49