移情閣(孫文記念館)。

さて、お昼ごはんを食べて満足した後は、いよいよ周辺を散策。

○移情閣(孫文記念館)
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孫文記念館は、孫文をテーマとする日本唯一の博物館です。
孫文はもちろん、1911年に辛亥革命を起こし中華民国臨時大総統に就任した中国の革命家ですが、
どうして彼の記念館がここにあるのか?
孫文
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現在記念館とされている移情閣は、もとは松海別荘という別荘の建物だったのですが、
1913(大正2)年に孫文が神戸を訪れた際、この松海別荘が歓迎会の会場とされたので、
そうした縁で、現存する移情閣が記念館とされた、というわけ。

松海別荘は、華僑の貿易商であった呉錦堂の別荘で、
移情閣は1915(大正4)年に建てられた、八角形の中国式楼閣です。
現存する日本最古のコンクリート建造物として、国指定重要文化財とされています。
「移情閣」の名は、窓から六甲山地・瀬戸内海・淡路島・四国と「移り変わる風情」を楽しめる、
という意味だそうです。

・一階
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・階段
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・二階
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こういう「いかにも近代建築」な建物って、すごく好きなんですよね~。大正浪漫~♪

神戸と孫文との関わりでいうと、孫文が1924年に「大アジア主義」と題した講演を行ったのが、
神戸高等女学校でのことでした。
もちろん、孫文にしたところで、基本的には中華民国国益を一番に考えていたでしょうし、
アジア主義という思想が「大東亜共栄圏」のプロパガンダと結びついた負の部分ももちろんあります。
けれど、日中両国において、一方が他方を踏みつけにするような形ではない関係を目指していた人々が
少なからずいたことは確かですし、ああいう歴史の流れに向わずにすむ可能性があったのではないかと思うと、
やはりそのことは大切であると思うし、それが実らなかったことは残念に思います。
(もちろん、朝鮮にしてもその他アジア諸国についても同様に)

…まあ正直なところ、中国という国に対する漠然とした憧れみたいなものはありますかね、個人的に。


ところで、このほか舞子公園には「橋の科学館」・「舞子海上プロムナード」という施設があって、
舞子海上プロムナードでは明石海峡大橋に登れるんですが…
なんと、よりにもよって行った日が唯一の休館日でした。がびーん!
(毎月第二火曜日がお休み)
…まあいいさ、次の楽しみに取っとくさ。
↓橋の科学館
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