徳蔵寺・板碑保存館。

正福寺について調べていた時に、
「同じく東村山にある徳蔵寺には、重要文化財の板碑があるらしい」
と知ったので、せっかくだからあわせて行くことに。
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正福寺以上に「ふつうのお寺さん」。
右手前に見える建物が板碑保存館です。

で、こちらがその重要文化財の板碑。
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「元弘三年斎藤盛貞等戦死供養碑」と呼ばれています。
元弘三(1333)年に上野国群馬県)で鎌倉幕府打倒の兵を挙げた新田義貞は、
鎌倉への途上、徳蔵寺の南の分倍河原で幕府方と合戦になります。
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合戦で戦死した斎藤盛貞などを弔うために建てられたのがこの碑というわけ。
こちらが銘文の翻刻になります。
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板碑保存館には、他にも多数の鎌倉~室町期の板碑が展示されています。
これはなかなかの圧巻でした。
壁面にずらりと展示された板碑の数々。
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1階には「昭和初期の消防道具」などの良くわからない展示品もあって、
なんだか小規模な民俗博物館みたいな風情で「?」と思ったんですが。
2階の展示品とのギャップは、いったいなんだったんだろう…。


ところで、正福寺→徳蔵寺は、多分ちゃんと迷わず歩けば20分ほどで着くのですが、
迷ってしまって大幅に時間を食ってしまいました。
まあ、あらかじめ地図をプリントアウトしていかなかったのが主因ではあるんですが、
東村山市は、「道の交差の具合がさっぱりわからず、川と鉄道でところどころ寸断」
という、なんだか『水滸伝』の祝家荘のような町でした…。
(たとえがわかりにくいですか?)