『
吾妻鏡』ではいろいろと暗君として語られている頼家ですが、
それを額面どおりに受け取るわけにもいくまいというのは、当然の話なわけで。
いずれにせよ、頼家が将軍の座を追われた理由は、
彼が暗君だったからではなく、母方の一族北条氏と妻の一族比企氏との争いの結果なのですから、
なにも頼家をつまはじきにする必要もないはずなんですけどねー。
でも結果的に、いろいろな場面で頼家は、あたかも「なかったこと」であるかのような扱いを受けています。
たとえば、銘菓
「鎌倉源氏最中」は頼朝・政子・実朝の3人だ、とかさ。
北条氏による
プロパガンダの効果たるや、恐るべし恐るべし…。
鎌倉市内には重要な
白旗神社がもう一件ありますが、そちらについてはまた別記事で。