義の通し方。

日本史研の大会は、2日間の日程をつつがなく終えることができました。
ご参加いただいたみなさま、どうもありがとうございました。

さて、私事になりますが。
総会で承認されたことだしもう書いてもいいだろうと思いますが、
今年度から日本史研の某委員を勤めることになりました。
正直、俺みたいな若造がやってええんか?とも思うんですが、
引き受けた上は、職責をまっとうできるように全力を尽くそうと思っています。

…仕事の中身については、誓ってブログには書きませんからね!(笑)

で、それはそれとして。
お世話になっているある先生からうかがった話なのですが。
以前、その先生がある学会の会場の受け入れ教員をされたことがあって、
僕も実働部隊の一人として働きました。
ところが、その先生はそれまでその学会と縁もゆかりもない方だったので、
僕は先生に「どうして引き受けられたんですか?」と聞いたんです。

先生が答えられたことには、
「学会の仕事というのは、たいてい、自分が断ったら、他になり手なんかないもんなんや。
 だから、何か仕事を持ってこられたら、断ったらいかんのです。」
と。
僕は幾つになっても子供のように単純な人間なので(笑)、
その先生の言葉にいたく感動して、僕も頼まれた仕事は決して断るまい、と心に誓ったのでした。
もちろん、僕がそう思った理由には、
その先生がその言葉を現に実行されてきたから、ということもあったのですが。

何が言いたいかというと、「だから仕事があったらなんでも持ってきて。」ということではもちろんなくて(笑)。
(というか、もしも今別の仕事を持ち込まれたら、そりゃーもちろん断ります 笑)
それが僕なりの義の通し方だ、ということです。
呼び名は「義」でなくても、たとえば「公共心」でも「美意識」でも、なんでもいいんですけど。

誤解のないように書いておくと、これは基本的には僕一人の心持ちの問題であり、
他人に押し付けるつもりはありません。
それに、これを僕が押し通せるのは、比較的にせよ僕が恵まれた環境に置かれているからだ、
ということも、わかっているつもりです。
そうした前提の上での話としてですけど、それでも同じように思ってくれる人がいてくれるのなら、
やっぱりそれはうれしいかな。