通法寺跡・源氏館跡(竹内街道を行く・その8)。
前回取り上げた源頼義墓は、通法寺跡の中にありまして。
通法寺は河内源氏の菩提寺で、1043年(長久4)に源頼信が小堂を建てたのがはじまりとされています。
…って、頼信の河内守在任が確認できるのは1047年(永承2)だけど…。
通法寺は河内源氏の菩提寺で、1043年(長久4)に源頼信が小堂を建てたのがはじまりとされています。
…って、頼信の河内守在任が確認できるのは1047年(永承2)だけど…。
まあそれはさておき、現在の通法寺跡はこんな感じになっています。
門はちゃんとあるのですが…
門はちゃんとあるのですが…
中は礎石がパラパラあるだけで、堂舎はほとんど残っておらず。
唯一残る鐘楼には鐘がない。
鐘がない鐘楼って、パッと見なんの建物なんだかわかんないですね(苦笑)。
鐘がない鐘楼って、パッと見なんの建物なんだかわかんないですね(苦笑)。
前回の源氏三代墓のところでも少し書きましたが、通法寺は江戸時代に入って柳沢吉保らにより復興されます。
が、明治の廃仏毀釈によって再び廃れ、現在のような有様になってしまったんですね。
いやー、やっぱ廃仏毀釈ってすさまじいな…。
が、明治の廃仏毀釈によって再び廃れ、現在のような有様になってしまったんですね。
いやー、やっぱ廃仏毀釈ってすさまじいな…。