白峯寺・その2(四国縦断弾丸ツアー・その2)。

なんだか長らくほったらかしにしてしまいましたが、この記事の続きです。
というわけで、白峯寺について。
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寺伝では、開基は弘法大師空海・智証大師円珍とされていますが、
空海はここに如意宝珠を埋め閼伽井を掘ったとされているだけで、
神託を受けて、流木から千手観音を切り出して本尊とし、仏堂を建てたとされているのは円珍です。
なんだか空海の伝承はずいぶんと後付っぽい感じがしますが、どうなんですかねー。

まあそれはさておき、確実なのは、保元の乱で讃岐に流された崇徳院が、
死去したのちここに葬られ、付近に建立された頓証寺が白峯寺の前身らしい、ということです。
崇徳院没後しばらくしてから、院と縁の深かった西行もここを訪れたとされています。
というわけで、こちらが現在崇徳院の御廟とされている頓証寺。
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…と、それはいいんですが。
ここはあくまでも御廟であって、ここからも崇徳天皇の白峯陵は遥拝できるんですけど、
白峯陵はまたちょっと別の位置になるんですよね。
ということをすっかり失念していて、なんとここまで行っておいて、
肝心の崇徳天皇陵にお参りするのを忘れてしまっていたのでした。阿呆だ…。
まあ、いずれまた行ける機会もあるでしょう、ということで。
それにしてもバカだなあ…。