辻邦生『背教者ユリアヌス』。

いまさらレビュー?という感じの古典ですが、
まあ僕にとっては「自分が読んだ本」というのが大事なので。
というわけで、今回は辻邦生『背教者ユリアヌス』です。

もともと気にはなっていた作品だったのですが、今まで読んでいなかった理由は、
勝手に「ユリアヌスをキリスト教徒側の視点から描いた作品」だと思い込んでいたからです。
(だって「背教者」ってそういうネーミングでしょ?)
読みはじめてすぐに、それが大きな間違いだとわかりましたが。

お話は、ユリアヌス誕生時のエピソードとユリアヌスの母の死から始まります。
次いでコンスタンティヌス大帝が死去するのですが、
大帝の息子であるコンスタンティウスは、帝権を分け合うことになる親族の大部分を謀殺しました。
その中にはユリアヌスの父も含まれたのですが、
まだ幼かったユリアヌスと兄ガルスは偶発的な理由で無事に逃れます。
物語の前半は、ユリアヌスのその後の幼少年期です。
わりと淡々とした内容で、ドラマ性よりは設定的な内容なので、
最後まで読み通せるかどうかは、ここを面白く感じられるかどうかなんだろうなーと思います。

事実上の幽閉状態で、哲学を学んで過ごした、ユリアヌスの人格形成。
猜疑心の強い皇帝コンスタンティウスの人となり。
皇帝に取り入り、自分たちの勢力伸張を第一義とする宦官。
大帝の敷いたキリスト教優遇路線の定着を目指すキリスト教徒。

全編を通じてユリアヌスの口から繰り返し語られる、
すべてを神に委ねるキリスト教への違和感と、
それと対をなす、哲学や古代ギリシャ・ローマの信仰への礼賛は、
そのまま著者の思いの代弁でもあるのでしょう。
個人的には、哲学を非常に実践的な学問ととらえるユリアヌスや、
その師であるリバニウスの考え方に、とても共感しました。

リバニウスは「人間が到達しえた最高の真理でさえ、
われわれはなおそこに、それを疑いうる余地を残さなければならぬ」と説きます。
同じセリフを、学部生時代に日本史の先生から聞きました。
いわく、「オウムの信者の学生が『先生、これは絶対の真理です』って言ってきたから、
『君らなあ、絶対の真理なんて言ったらその時点で止まってまうで』って言った」と。
で、結局のところ、僕は僕で、学生に向ってこう言います。
「『自分自身が間違っているかもしれない』と相対化しながら、
『現時点でもっとも説得力があると自分が信じる論理を提示する』のが研究だ」と。
…学者というのは、1700年間同じことを言い続けている人種なわけですな(笑)

ユリアヌスは、「哲学も政治も軍事も同じ精神の働きが別の形で現れたものだ」
「動かしがたい存在の理法に沿って、真実の姿をはっきりとつかみだすこと――それが哲学だ」
「ローマの秩序はこの理法をこの世に実際に適応させたものにすぎない」と説きます。
「哲学」を「歴史学」と置き換えれば、ほぼ同じことを考え、同じように学生に向かって説いています。
知識としての歴史ももちろん重要で役に立つけれど、
それ以上に、歴史学は「物の考え方」を身につけることができる学問なのだ、と。

というか、歴史学に限らず、学問というのは一般に、知識そのものの値打ちだけではなく、
「物の考え方」を身につけることに意義があるのだと思っています。
「物の考え方」というのは、思想とか価値観とかではなくて、論理的思考の方法ということです。
対象を観察し、課題を設定し、仮説を立て、因果律にそってそれを説明・論証する。
そういう営みは、ある意味で「対象が変わってもやることは同じ」なのであって、
一つのやり方を身につければ、あらゆる物に適用可能なんじゃないか、と。
少なくとも、僕自身はそう思っていますし、
「歴史のことしかわからない人間」には死んでもなりたくないと思っています。

さて、この哲学の徒であるユリアヌスは、ローマ皇帝として即位した1年半後、
ペルシャへの遠征途上で戦死します。
2代前のコンスタンティヌス大帝によって敷かれた、
キリスト教国教化路線を抑制しようとした途中での死でした。
彼のやろうとした路線転換が果たして可能だったのか、
あるいは歴史の歯車を逆に回そうとする徒労に終わったのか、結果は可能性のかなたにありますが、
個人的には、あのまま続けても徒労に終わったんじゃないかなーと思います。
いずれにせよ、ユリアヌスはローマ帝国の時代である古代と、
キリスト教の時代である中世との時代の狭間に咲いたあだ花的存在になったわけです。
言ってみれば「遅れてきたローマ人」でしょうか。
その責任感のあり方も含めて、個人的には非常に好みなキャラクターです。
逆に「時代に早すぎた近代人」とも言うべき、神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世も大好きです。
時代はどうあれ、「偏狭さ」とか「独善」とか「抑圧」とかにはとことん抵抗してみたいなあ、と。

あ、もう書ききれませんが、個人的にはユリアヌスの兄であるガルスもなかなかカッコよかったです。
こういう「ちょっと自己抑制が足らないけど、誇り高い」というキャラは、それはそれで好きですね。
リアルで身の周りにいると、けっこう迷惑だとは思うんですが(笑)。
あと、ユリアヌスとエウセビアの関係は、「結婚という社会制度とはいったい何なのか?」と
あらためて考えさせられました。
そんなこと考えてるから結婚できないんだよ、と言われたら、まあそうなんでしょうね~(苦笑)。

書き足りないことはありますが、とりあえずはこれにて。
おすすめの一冊なんですが、できれば注と地図を付けて改訂版を出してくれませんかねえ。
「シルミウム」とか言われても、とっさにどこかわかんないですよ。
というわけで、『ローマ人の物語』と合わせて読んで今に至る、という感じです。