ハプスブルク家の前当主逝く。

(おくやみ)オットー・フォン・ハプスブルク氏=オーストリア・ハンガリー帝国最後の皇帝の長男(読売新聞
 オットー・フォン・ハプスブルク氏 98歳(オーストリア・ハンガリー帝国最後の皇帝の長男)4日、ドイツ南部ペッキングの自宅で死去。1979年から20年間、欧州議会議員を務めた。
 89年、オーストリアハンガリー国境で東ドイツ市民が欧州融合を訴える運動を始めると積極的に支援し、冷戦終結に一役買った。
 4歳で父親のカール一世が皇帝に即位したことにより皇太子となった。ハプスブルク氏は第1次大戦後、帝国が崩壊した後は、ベルギーやスペイン、米国などを転々とした後、54年からペッキングに居住した。
「生ける歴史」という感じでしたが、とうとうお亡くなりに。
他紙では報じられていないようで、もうちょっとニュースになっていい気もするんですが、
まあすでに隠居の身だったからというのもあるんですかねー。

この人のことを知ったのは、大学3年の「二十世紀学」の講義でEUについて聞いた時でした。
文中にも出ていますが、冷戦終結…というか、共産圏崩壊のきっかけとなった
ヨーロッパ・ピクニック計画」の支援者ですね。
あれから22年、国際社会は結局のところ「ポスト冷戦」状態が続いていて、
新しい枠組みといったものは形成されないまま、という感もあります。