児玉清さんの思い出。

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画像は今から14年前の記念写真です。
14年前のちょうど今頃オンエアされた「アタック25」に出場した時のもの。
収録したのは何月だったかな~。右端は当時のアシスタントの相馬さんです。

今はどういう仕組みか知らないのですが、「アタック25」の予選は面白くて、
ある一定以上の成績の人の中から、面白そうな人を面接で選ぶんですよ。
で、前もってプロフィールを書くんですけど、趣味の欄に「合唱」と書いていた僕は、
予想通り面接で「何か歌ってみて下さい」と言われて「第九」を歌い、
見事合格通知が来ました。一緒に面接を受けた友人には「あれは反則(笑)」と言われましたがw。

最終成績はあまり良くなかったんですが、アタックチャンスは見事に取って、
(今でも覚えていますが、「今年イギリスから中国に返還された香港の最後の総督は誰?」という問題で、
正解は「クリストファー・パッテン」。)
大詰め、「この一問を正解すれば逆転勝利」というところで、
マダガスカルニュージーランド、○○(どこだっけな~、思い出せない)の三つの島国のうち、
もっとも面積の大きいのはどれ?」という問題が出されました。
で、早押しで解答権を取った僕は、「ニュージーランド」と答えてあえなくお手つき(正解はマダガスカルでした)。

「アタック25」をご覧になったことがある方はご存知の通り、
誤答したら解答者は解答席から立ち上がり、2問の間解答できません。
あまりに力なくよろよろと立ち上がった僕に向い、
児玉さんは優しく一言、「まあそう気を落とさないで」と励ましてくれたのでした。
この一言はオンエアされたんだっけな~、ビデオに録ってあるんでデッキがなくて確認できないんですが、
何にせよ、収録中に解答者を励ましてくれる司会者というのはあまりないと思います。
きっと芯からそういうお人柄の方だったんだろうなあ、と僕は思っています。

当時の大学のクイズ研究会には、「『アタック25』といえば『児玉さんのアメ』だよね」と言う話がありました。
解答者の後ろには家族や友人などの応援の人たちが座っていますが、
収録の合間の休憩時間(アタックチャンス前のCMのところですね)に、
応援の人たちへ児玉さんから差し入れのアメが回ってくるんです。
自分が出場する前に一度、クイズ研究会の先輩の応援でスタジオに行ったことがあるんですが、
「これがうわさの『児玉さんのアメ』か~」と思ったことを覚えています。
それぐらい、児玉さんは気配りの方でした。

テレビ番組では、当たり前のように司会者が一般の出演者を「いじって」番組を盛り上げますが、
児玉さんは一切そういう事はせず、必要以上のあおりもいれず、
それでいて視聴者を引き付けるという、名司会ぶりを発揮されました。
長い年月の中で幾度かクイズブームが起こり、視聴者参加型のクイズ番組が生まれては消えていきましたが、
「アタック25」は児玉さんとともにたゆみない歩みを続けて、
今や全国ネットで放送されている視聴者参加型のクイズ番組は「アタック25」だけです。
いつまでも児玉さんにはお元気でいていただきたかったですが、
今は心からご冥福をお祈り申し上げます。お疲れさまでした。ありがとうございました。
そして、児玉さんの心を受け継いで、「アタック25」はこれからも続いてほしいと思います。