南九州三国旅日記(第三日目その1)

さて、3日目は鹿児島市内を振り出しに、
金峰町(持躰松遺跡)→川辺町(清水磨崖仏群)→知覧(ミュージアム知覧)→指宿市という行程。
いまいちなじみのない地名が続きますが、薩摩半島を南西方向に斜めに突っ切ったのだと思って下さい。

持躰松遺跡は、舶来の磁器や国内産の土器などが発掘されている中世の港湾の遺跡です。
九州の玄関口と言えば博多が良く知られており、鹿児島の港湾では坊津が有名ですが、
持躰松はそれらと比肩する規模の貿易港だったと考えられています。
海路絶対の前近代では、九州が最先端の文化との接点ですからね。
開館直前の歴史資料館も見せてもらいましたが、その設備・展示の素晴らしいこと!
うらやましい限りでした。京都は物はともかく、博物館は貧弱だからなあ…。
(なまじ現物がある分、展示として何かを見せる意義が薄れてしまうのでしょうが、
 でも、京都市内に限らず京都府下の歴史資料館はおおむね古くて貧弱だ。)
ミュージアム知覧や、その他の博物館もなかなかのもので、
このへんはいろいろとお国柄も作用しているようです。

清水磨崖仏群は、平安末期から鎌倉期を中心に製作されたもので、
長さ400mの切り立った岩壁に、ずらっと一面仏像・仏塔が彫られています。
これは圧巻でしたね!最大の五輪塔は高さ12mもあります。
詳しくはコチラ http://www.town.kawanabe.kagoshima.jp/kankou/kankou01-01.html
ただし、さまざまな事情で、国指定の文化財にはならず、県指定文化財にとどまっております。
そのうちの大きな要因は、史跡を公園として整備してしまった時に、
景観なんかを随分といじってしまったからなんだとか。もったいない…。
あと、前面に広がっていた竹やぶを、公園整備の際に切り払ってしまった結果、
磨崖仏の表面が風化してしまったそうです(現在は風化防止の処置が取られています)。
高松塚古墳の壁画もそうですが、文化財の保存って難しい…。